為志神社(いし)

葛城市新庄町林堂 mapfan

神社

交通案内
近鉄御所線新庄駅下車 西西南へ2km

祭神
伊古比都幣命(伊毘志都幣命か)
大彦命など十二神(社記)

由緒
 ヰシと訓むようで、忍海(オシヌミ)からの転訛とか、忍志を為志に誤記したとか、社名の謂われはよくわからない。
 祭神についてもはっきりしないが、度会延経『神名帳考証』には「伊毘志都幣命。和泉国大鳥郡火雷神社、石津太杜神社、出雲国飯石神社、出雲国風土記云、伊毘志都幣命。按食神稚産霊命也」 と記されている。
 
和泉国大鳥郡 火雷神社[イナヒカリ]は現在陶荒田神社に合祀されている。
 
和泉国大鳥郡 石津太神社[イハツタノオホ]は堺市浜寺石津町中4丁に鎮座する同名社で、蛭子命の船の漂着伝承を持つ。
 
出雲国飯石郡 飯石神社[イヒシ]は島根県飯石郡三刀屋町に鎮座、本殿はなく、幣殿、通殿、拝殿を配している。即ち磐 境、磐座という自然信仰の形態をそのままの姿で現在に伝えている古社である。 祭神の伊毘志都幣命の天降りましたと伝える磐石が御神体となっているとのこと。天穂日命の御子で、天夷鳥命、武夷鳥命 とも云う。

本殿

為志神社遺蹟石碑由来から

式内古社
 為志神社に伊古比都幣尊祭神として古く栄え延喜式には忍海郡二社の筆頭に記載されている由緒正しい神社で久しくその尊厳を発揮してきたが明治三十九年の勅令社寺合併令により明治四十三年二月八日をもって式内大社葛木坐火雷神社に合併されて今日に至った

しかるに廃社の後人々は社殿の跡に為志神社遺蹟の石碑を建てあたかも神殿に対するが如くこれを崇敬してきたのである

人々の志実って社殿を再建し祭神を還しここに式内小社為志神社の再建が成就したあとなり為志神社遺蹟の碑を温存する所為である

昭和五十七年十月十七日
     式内社為志神社
     再興発起人一同
 

遺蹟石碑


お姿
 昭和57年に再建されたようであり、既に20年近くを経ている。 聖地として保存されてきたのえあろうが、木々も鬱蒼としつつある。
 これからの時代も地元の方々の力で失われた神社の再建が行われることがあるだろうか。



お祭り




参考

『式内社調査報告』
『寺院神社大事典 大和紀伊』

大和の神々
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