葛木御歳神社(かつらぎみとし)
御所市東持田字御歳山 ゼンリン



社殿風景

交通案内
近鉄御所線御所駅より五条方面行きバス小殿 東10分

祭神
御歳神 配 大年神、高照姫命

由緒
 中鴨である。本社の背後に御年(みとし)山という美しい神体山があり、金剛山の扇状地にひらけた稲田を御守護された神である。
 御神名のトシは穀物、ことに稲をさす古語で、稲の神として古くから知られ、朝廷で豊作祈願のために行われた年頭の祈年祭(としごひのまつり)には、まず御歳神の名が読みあげられた。

 その由緒について、『古語拾遺』には下のように記されている。神代に大地主(おおとこぬし)神、田つくりましし日に、牛のシシをもて田人に食わしめたまいき。時に御歳神の子、その田に至(き)まして、饗(みあえ)に唾(つば)きて還りまして、ありさまを父に告げましき。 御歳神、いかりまして、イナゴをその田に放ちたまいしかば、苗の葉たちまちに枯れ損なわれて、篠竹のごとなりき。ここに大地主神、片巫(かたかんなぎ)・肱巫(ひじかんなぎ)をして、その由を占求(うらな)わしめたまいしに、御歳神たたりをします。
 宜しく白猪・白馬・白鶏(しろかけ)を献りて、その怒りをなごめまつるべしともうすに、教えのまにまに謝(の)り奉(まつ)りますときに、御歳神答えたまわく、実(まこと)に吾が意(こころ)ぞ。宜しく麻柄(あさがら)をもてカセをつくりてカセぎ、すなわちその葉をもて掃い、天押草(あめのおしぐさ)もて押し、烏扇(からすおおぎ)もて扇ぐべし。 もししかして出で去らずば、宜しく牛の宍をもて溝口におき、男茎(おはせ)の形を作りて加え、(ここでいう「牛の宍」「男茎」とは、男・女の性の印を意味する古語であって、これは、その神の怒りを鎮め、陰陽の和合を、称えたものである。)ツスダマ・ナルハジカミ・クルミ、また塩をもてその畔(あ)にまきおくべしとのたまいき。 すなわち、その教えのまにまにせしかば、苗の葉また茂りて、年穀豊稔(たなつものゆたか)なりき。これ今、神祇官に白猪・白馬・白鶏もて御歳神を祭ることの縁(もと)なり。

 『平成祭礼データの神社由緒』によると、以上のことの意味は、人々が、「土」とのかかわりあいにおいて、稲作する時、その耕作に役立つ午(うま)等(農耕器具等の生産手段)を大切にし、心を清くして、農耕等(如何なる仕事においても)をすべきことを、教えたものである。 このことを、別に解釈すれば人と「土」(自然)とのかかわり方の方法等を、教えたものであり、自然との結合、人と人との結合(陰陽和合)をたたえたものと解釈できる。

 さて、御歳神は一体何に怒ったのか? 一般には、農夫に牛の肉をご馳走した事に怒ったと理解されている。それでは御子神が饗に唾を吐きかけたのはどの様な意味があるのか? 饗は唾棄すべきものだからなのか。そうではない。唾をつけるとは先に占有すると言う意味で、御歳神の饗を御子神が横取りしたから怒ったのである。

 古代における朝廷でも、祈年祭には、この御歳神社にだけ、白猪・白馬・白鶏を、献じられたのも、上のような意味あいにおいてであるとされる。

 この御歳神社では、昔は、祈年祭の前日の二月二日、今では、五月三日に、御田祭りが執り行われ、諸々の神事と共に参詣者には、杉葉を守札に包んだ蝗除け等の護符を配布している。

 なお、古書の記録では、仁寿二年(八五二年)には、正二位の神位を授かり、延喜の制では、名神大社に列した神社として尊ばれた古社である。

春日大社本殿を移築した本殿


お姿
  参道横に無粋なタイヤの工場がある。一歩境内に入ると、まるで違う雰囲気。境内と背後の山は木々が多い。頂上には祭祀跡と思われる磐座があると云う。 神社は落ち着いたたたずまいである。左右に摂社の小祠があり、味鋤高彦根命神社や事代主神社、天稚彦神社、稚日女神社、一言主神社が並ぶ。

 参道前を東に行くと巨勢である。この間は開発が進んでいる。

かって小祠が鎮座していたと推測されている磐座



摂社 味鋤高彦根命神社  事代主神社、天稚彦神社、稚日女神社、一言主神社
 


お祭り
秋祭 10月9日10日

カナ山頂上を東に20m下る。日を迎える磐座。


『平成祭礼データ』葛木御歳神社


由緒
御本社の背後に御年(みとし)山という美しい神体山があり、古く御祭神は御年山に お鎮まりになって、金剛山の扇状地にひらけた稲田を御守護された神であります。 御神名のトシは穀物、ことに稲をさす古語で、稲の神として古くから知られ、朝廷で 豊作祈願のために行われた年頭の祈年祭(としごひのまつり)には、まず本社の御歳 神の名が読みあげられました。その由緒について、『古語拾遺』には下のように記さ れています。むかし、神代に大地主(おおとこぬし)神、田つくりましし日に、牛の シシをもて田人に食わしめたまいき。時に御歳神の子、その田に至(き)まして、饗 (みあえ)に唾(つば)きて還りまして、ありさまを父に告げましき。御歳神、いか りまして、イナゴをその田に放ちたまいしかば、苗の葉たちまちに枯れ損なわれて、 篠竹のごとなりき。ここに大地主神、片巫(かたかんなぎ)・肱巫(ひじかんなぎ) をして、その由を占求(うらな)わしめたまいしに、御歳神たたりをします。宜しく 白猪・白馬・白鶏(しろかけ)を献りて、その怒りをなごめまつるべしともうすに、 教えのまにまに謝(の)り奉(まつ)りますときに、御歳神答えたまわく、実(まこ と)に吾が意(こころ)ぞ。宜しく麻柄(あさがら)をもてカセをつくりてカセぎ、 すなわちその葉をもて掃い、天押草(あめのおしぐさ)もて押し、烏扇(からすおお ぎ)もて扇ぐべし。もししかして出で去らずば、宜しく牛の宍をもて溝口におき、男 茎(おはせ)の形を作りて加え、(ここでいう「牛の宍」「男茎」とは、男・女の性 の印を意味する古語であって、これは、その神の怒りを鎮め、陰陽の和合を、称えた ものである。)ツスダマ・ナルハジカミ・クルミ、また塩をもてその畔(あ)にまき おくべしとのたまいき。すなわち、その教えのまにまにせしかば、苗の葉また茂りて 、年穀豊稔(たなつものゆたか)なりき。これ今、神祇官に白猪・白馬・白鶏もて御 歳神を祭ることの縁(もと)なり。
以上のことの意味は、人々が、「土」とのかかわりあいにおいて、稲作する時、その 耕作に役立つ午(うま)等(農耕器具等の生産手段)を大切にし、心を清くして、農 耕等(如何なる仕事においても)をすべきことを、教えたものであります。このこと を、別に解釈すれば人と「土」(自然)とのかかわり方の方法等を、教えたものであ り、自然との結合、人と人との結合(陰陽和合)をたたえたものであります。 古代における朝廷でも、祈年祭には、この御歳神社にだけ、白猪・白馬・白鶏を、献 じられたのも、上のような意味あいにおいてであります。
この御歳神社では、昔は、祈年祭の前日の二月二日、今では、五月三日に、御田祭り が執り行われ、諸々の神事と共に参詣者には、杉葉を守札に包んだ蝗除け等の護符を 配布しています。
なお、古書の記録では、仁寿二年(八五二年)には、大和国では、最高の神とされ、 正二位の神位を授かり、延喜の制では、名神大社に列した神社として尊ばれた古社で あります。以上

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