葛木倭文坐天羽雷命神社
(かつらぎのーしどりにいますーあめのはづちのみこと)

葛城市加守 mapfan


拝殿を見上げる


交通案内
近鉄南大阪線二上神社口下車 北へ700m


祭神
天羽雷命
相殿 蟹守神社「天忍人命」 二上神社「大國魂命」


由緒
 二上山の雄山を神奈備山として鎮座、『延喜式』神名帳の葛木倭文坐天羽雷命神社に比定される。論社は博西神社
 天羽雷命は機織の神であり、各地に倭文氏により奉祀された。『延喜式神名帳』によれば以下の通り。

伊勢国鈴鹿郡 倭文神社 現在 加佐登神社 鈴鹿市加佐登町2010
駿河国富士郡 倭文神社 現在 濱名惣社神明宮境内天羽槌雄神社 引佐郡三ケ日町三ケ日22
伊豆国田方郡 倭文神社 現在 鍬戸神社 三島市長伏1
甲斐国巨摩郡 倭文神社 韮崎市穂坂町宮久保字降宮051
上野郡那波郡 倭文神社 伊勢崎市東上之宮町甲380
丹後国加佐郡 倭文神社 舞鶴市今田津ノ上1010
丹後国与謝郡 倭文神社 与謝郡野田川町三河内1453
但馬郡朝来郡 倭文神社 朝来郡生野町円山字下代201
因幡国高草郡 倭文神社 鳥取市倭文548-1
伯耆国久米郡 倭文神社 倉吉市志津209
常陸国久慈郡 静神社  現在 鷹房神社 常陸太田市小目町1 もしくは 常陸 那珂 靜神社 那珂郡瓜連町静2

 これらの神社の根本社と言われている。某倭文神社の方から倭文サミットの開催の相談があったそうだが、 当社を筆頭に記していなかったようで、当社は式内大社ではあるが倭文神社の根本社との認識は普及していないのかも。
 実は当地にシドリの地名がなく、祭祀に当たった倭文氏の居住の根拠がないとのこと、ただ、当社北側の地名は「畑」で、これは機織りの機ではなかったかと言われている。

 常陸国の大甕神社は星神香々背男神を封じた石の上に本殿が鎮座する神社であるが、『大甕倭文神宮縁起』には、この星神を退治したのが倭文神武葉槌命とされる。 常陸国は「武甕槌命、経津主命が諸々の順はぬ鬼神達を誅ひて」と記されているのであるが、何故か星神については倭文神が登場しなければならなかったのだろう。
 同族を持って和むけると言うやり方が古代に限らず、戦法として存在しており、その反映ではなかろうか。
 倭文は古来倭国の文様(文:アヤ)入りの織物であり、機織りの神であるが、機織りの神では天棚機神、女神では七夕姫が思いおこされる。 七夕神は星神である。
 また香々背男神は天津甕星や天津赤星とされており、天津赤星は為奈部の祖とされ、いわゆる物部系である。 一方、『新撰姓氏録』摂津国神別に、「倭文連。角凝魂命男伊佐麩魂命の後なり」とあり、またまた物部系である。 いわゆる内物部に外物部を攻めさせた記憶の名残ではなかろうか。


 相殿の天忍人命は不合尊の誕生に際し、海浜に産室を建て、箒を持って傍に侍り、蟹を払い去ったと神と伝わり、 産婆の神としてあがめられている。 おそらくこれはカモリからの付会であって、『太子町・当麻の道』金本朝一著で触れられているように「カモイと言う神の原語ではなかったか」に共感できる所がある。 これは二上山の麓の神社であるが故である。

磐座


本殿




お姿

 本殿の雰囲気はその周囲の苔生した庭とともに誠に良い。拝殿もまさに神を拝むにふさわしいたたずまいである。 本殿横に磐座がある。往古は社殿などを建てずに、磐座前で祭祀を行っていたのである。 磐座正面は雄山に面している。



お祭り

秋大祭 10月17日

『平成祭礼データCD』葛木倭文坐天羽雷命神社
  倭文神社 衣料の始祖、倭文は染織の儀、紡織、養蚕、メリヤス等すべて糸を生業とする人は是の大神に帰依して事業の隆昌を賜るべし。  

加守神社 産育の始祖その職号を蟹守と言う、カニは香泥即ち胎児の垢、後世掃部、加守、狩森、鴨田等の名あるはすべて蟹守の転訛、産科育児等にたづさわる人は祖神の居ます加守の地を第二の故郷として、しばし帰参去るべし。


参考 神社本庁『平成祭礼データ』、『日本の神々4』、『太子町・当麻の道』

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