高鴨神社(たかかも)

御所市鴨神1110 mapfan

境内




交通案内
近鉄御所線御所駅から五条方面行きバス風の森 西10分


祭神
味治須岐高彦根命

配祀 下照比売命、天稚彦命  

または高鴨神

主な境内摂社
西神社「主 多紀理毘賣命 配 天御勝姫命、鹽治彦命、瀧津彦命」
東神社「天兒屋根命、天照大御神、住吉三前大神」
八幡神社「譽田別命」
一言主神社「事代主命」
猿田彦神社「猿田彦命」
聖神社「大物主命」
稲荷神社「宇賀御魂命」
金刀比羅神社「大己貴命」
八坂神社「素盞嗚命」
牛瀧神社「豐岡姫命(豊受大神)」
市杵嶋姫命神社「市杵嶋姫命」
大山咋神社「大山咋命」
春日神社「建御雷命」
雷神社「高大神」
細井神社「水波能賣命」
西佐味神社「主 高木大神 配 高大神、闇神、十二將軍大神」



由緒
 この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神として祀った。この神社付近には忍海漢人と呼ばれる渡来人系の韓鍛冶部が居住していた。剣や農器具(鍬など)を制作していた。風の強い地域であり古代の製鉄の場所であったと思われる。
 『延喜式』神名帳には葛上郡の最後に記されているが「高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこと)神社」とみえ、名神大社であった。清和天皇貞観元(八五九)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の神階にあった本社の祭神もともに従一位に叙せられた。由緒をもつ古社であった。

 雄略天皇により土佐に流されたとされる神ともされるが、どうもこれは定かではない。土佐では一言主神とされるが、この神は阿治須岐詫彦根命の分霊と見なされているようだ。下段に参考に掲げた「鴨の神々−土佐から来た神は−」を参照のこと。

 弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめた。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入った。 それで、この高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになった、ともに鴨一族の神社である。



本殿


 鴨一族はひろく全国に分布し、賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよぶ。中でも京都の賀茂大社は有名社で、本社はそれら賀茂社の総社にあたると言う。

 『日本書紀』によると、葛野主殿県主の祖のヤタガラスが、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されている。ヤタガラスは山城賀茂族の祖とされている。また山城賀茂族はここ大和葛城の鴨族が流れていったとか、鴨の使用人が鴨を名乗ったの説もあるが、これは定かではない。

 神社由緒には「鴨族の祖先のヤタガラス」と言う表現がある。一体『記紀』のどこにカラスがカモの祖と書いてあるのか?この神社の祭神はカラスなのか? 国内での屈指の古社、古社の中の古社である。関係者はもっとこの神社に誇りを持って欲しい。由緒書きの訂正をお願いする。

 また神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とし、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくったとの鳥越憲三郎氏の説もあるが、学界では少数派。

 葛城の鴨族の祖は『新撰姓氏録』にあるように、大物主大神の子の大田田根子神であり、遠祖としてはアジスキタカヒコネノカミであり、ヤカガラスは宇陀に神社が創建されているように葛城とは関係がなく、秦氏と天皇家の崇敬を受けた山城の賀茂二社が勢いを持った時に出来た伝承でと思う。

 建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の活躍は神話の中で大きく物語られている。高天原から皇室の御祖先であるニニギノミコトがこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークであるがその中で本社の祭神であるアジスキタカヒコネノカミ・シタテルヒメノカミ・アメワカヒコ、さらに下鴨社の事代主神が、国造りの大業に参画している。

 本殿にはアジスキタカヒコネノカミを主神とし、その前にシタテルヒメノカミとアメワカヒコノミコトの二神が配祀、西神社には母神のタギリビメノミコトが祀られている。 古くはアジスキタカヒコネノカミとシタテルヒメノカミの二柱をまつり 、後に神話の影響を受けてシタテルヒメの夫とされたアメワカヒコ、、また母神とさ れたタギリビメノを加え、四柱の祭神となったものである。

 現在の本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定されている。

お姿
  社叢は大きく、向かって左側に池がある。杉の木が多い。
 拝殿前から左側(山手、西側)へ降りていくと、左手に池、右手に小丘があり参道には小祠が点在している。突き当たりに西神社が鎮座している。静かでいい場所である。
 同じように拝殿前から右側へ行くと東神社が鎮座する。
 西神社で柏手をうつ。東神社で柏手をうつ。反響・響きが違うようだ。

また日本さくら草の栽培で有名である。五月の連休辺りが見頃だろう。



西神社



お祭り
 4月15日  10月11日

『平成祭礼データ』高鴨神社
由緒
この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神とし ていつきまつった社であります。
『延喜式』神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこ と)神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名神大社で、最高の社格 をもつ神社でありました。清和天皇貞観元(八五九)年正月には、大和の名社である 大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の御神階にあった本社の御祭神もともに 従一位に叙せられましたが、それほどの由緒をもつ古社であります。 弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の 岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派 も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨 社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、ともに鴨一 族の神社であります。
このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加 茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名 にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら 賀茂社の総社にあたります。
『日本書紀』によると、
鴨族の祖先のヤタガラスが、神武天皇を熊野から大和へ道案 内したことが記されています。そして神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后 とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられました。 この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展しまし たが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によっ て滅亡しました。
こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中 で大きく物語られています。高天原から皇室の御祖先であるニニギノミコトがこの国 土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークでありますがその中で本社の御 祭神であるアジスキタカヒコネノカミ・シタテルヒメノカミ・アメワカヒコ、さらに 下鴨社の事代主神が、国造りの大業に参画されています。
御本殿にはアジスキタカヒコネノカミを主神とし、その前にシタテルヒメノカミとア メワカヒコノミコトの二神が配祀され、西神社には母神のタギリビメノミコトが祀ら れています。古くはアジスキタカヒコネノカミとシタテルヒメノカミの二柱をまつり 、後に神話の影響を受けてシタテルヒメの夫とされたアメワカヒコ、、また母神とさ れたタギリビメノを加え、四柱の御祭神となったものと考えられます。
現在の御本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定されています 。なお東神社は皇大神・住吉神・春日神をお祀りしています。

鴨の神々−土佐から来た神は−
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