調田坐一事尼古神社
(つくだにいますひとことねこ)

葛城市疋田 mapfan



鳥居

交通案内
近鉄南大阪線尺土下車 南へ1km



祭神
一事尼古大神、事代主大神
摂社
豊受神社「豊受皇大神」
春日神社「武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、比メ神」


由緒
 疋田に坐す調田坐神とはどう言うことだろうか。疋田を低田と解釈する説もあるようだ。社地の場所は小高いようである。 物部に疋田物部がいるが、当地に物部の勢力がいたことは確認できていない。
 式内社。創建年代は不詳。称徳天皇の神護景雲四年(770年)に槻田神に播萬一戸とあり、奈良時代には鎮座していたようだ。

 祭神の一事尼古大神とは神社の由緒によれば、一言主大神のこととする。「尼古」とは高貴な男神を示すと言う。根子の名の神や人の名が古典には多い。 この一言主大神の物語は雄略天皇の葛城山御幸に出現するのであるが、万葉集のトップにも雄略天皇の歌があるように、この天皇はエポックメーキングな天皇、大和王権の権力を確立した天皇として記憶されていたのであろう。 天皇の姿は葛城の一言主大神とそっくりであり、『日本書紀』では見送りまで受けている。天皇は神であるとする主張の前触れだろう。
 出所を忘却したが、「一言主」も「天皇」も文字が左右対称で、「天皇」は「一太曰王」と分解でき、大王一言曰くで、神の声にも等しいとの神名を構想したとの見解であったように記憶しているが、さほど正確ではないので、引用されるなら要注意。




東側の鳥居からの拝殿


お姿
  大田川の東側の民家の向こうに鎮座、南向きである。 かっては春日神社と呼ばれていたようで、摂社に春日神社が鎮座する。 本殿はなかなか見えにくく、狭い社域の背後にまわるとなんとか見ることができる。木々が繁茂しており、いい神社である。

 拝殿の前に注意書きがあり、お詣りの人は拝殿の中へ入ってと記してあったので、拝殿の扉を開けて中に入って、本殿の写真を撮った。




流造銅板葺、向拝持出の本殿



お祭り

祈年祭(おんだ祭り)  3月6日
例祭  10月8日


参考

神社本庁cd:平成祭礼データ
『式内社調査報告』
『寺院神社大事典 大和紀伊』

大和の神々
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