奈良豆比古神社
奈良市奈良坂町奥垣内 mapfan

鳥居

交通案内
近鉄奈良駅から青山住宅行きバスなら坂下車



祭神
平城津彦神、施基親王、春日王


社殿


由緒
 延喜式内社、添上郡の同名社。奈良坂春日社と呼ばれていた。
 平城津彦神とは産土神で、おそらく奈良山の神であろう。
 正中元年(1324)の縁起は、宝亀二年施基皇子を奉祭、同十一年に春日王が春日第四御殿神(姫大神)を祀り、保延二年(1136)に春日若宮神(天押雲命)を勧請したと伝える。近世は当地にあった善城寺の境内にあって鎮守とされ、ハコ石という元明天皇陵石碑が一時当社北傍にあり、佐保姫神影向石として崇められていたという。

 境内に石瓶神社が鎮座、石の神とも云い、春日王の作る矢、幡を石瓶に入れて埋納した所と云う。石瓶神社の御神体は石であり、神社は坂に鎮座、まさにそこに石の神とすれば、これは当社の根源の神であるシャクジの神の可能性がある。春日大社には佐軍社があり、それに相当する神かも知れない。

 いや、春日王は重いハンセン病にかかっており、奈良山の一角に引きこもっていた。息子の浄人王は散楽と俳優に長けており、ある日、春日大社の神前で、中臣の祓えを奏上した後、おもむろに神楽を舞った。これは男舞いの始まりであった。そう云う意味で、奈良坂春日社が春日大社の後戸の神であったと見ることができるのかも知れない。

本殿

石瓶神社
 

お姿
 東を向いて鎮座している。
 参詣した時、丁度雷が鳴り始め、雨が一挙に降り出した。ありがたいことに社殿があり、ここで半時間ほど雨宿り。神木の楠木の巨木が本殿背後にあるようだが、どう行っていいのか判らずに諦めた。 摂社が分散気味に鎮座、毘沙門天、弁財天、福の神等が確認できた。

お祭

 10月 8日 例祭前日 翁舞
 10月 9日 例祭

参考『大和紀伊寺院神社大事典』、『日本の神々4』、『精霊の王』中沢新一

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