多坐弥志理都比古神社
奈良県磯城郡田原本町多569 mapfan

鳥居

交通案内
近鉄橿原線笠縫駅 南東1500m



祭神
神八井耳命、神泥川耳命、神倭磐余彦尊、玉依姫命



由緒
 天平時代以前からの古社。式内大社二座。『日本の神々4』によると、多氏の祖の神八井耳命と姫御神が祭神とされているが、久安五年(1149年)の『多神社注進状』には
 珍子賢津日霊神尊 皇像瓊玉坐
 天祖賢津日神像 神物圓鏡坐
 とヒコ、ヒメ神となっており、社名の弥志理都比古から水火知男と女神のヒコ、ヒメ神が神名帳の二座と言う。
 なお、 弥志理都比古は神知津彦であれば、『新撰姓氏録』からは椎根津彦と同一神である。 大和岩雄氏は、珍子(うつのみこ)、天祖「あまつおや)は母子神と見ている。日光感精の母子神信仰の日の神であろう。春分、秋分の日には三輪山山頂のやや右側から朝日が昇る。三輪山から登る朝日の遙拝所である。ここは重要な神社。

 笠縫邑の伝承地でもある。日祀りの場であった。

多神社の文献記録(社頭掲示から)
天平二年(720) 大倭国主税帳に太(多)神戸、稲 合 10690束 (正倉院文書)
 大神神社の2.5倍、ましてや他の神社の10倍の経済力を有している。

一間社春日造の四本殿


お姿
 多神社の西側に飛鳥川が流れている。この川から縄文時代のヤジリ・石斧、弥生時代の土器、古墳時代の土師器、須恵器などが大量に出土している。 弥生後期から古墳中期末の出土遺物は祭祀的な性格が見られるとのことで、三輪山の朝日、二上山の夕日、畝傍山の真北と言う立地からは、太古からの神祭りの聖地であったと『日本の神々』で大和岩雄氏は指摘をされている。

境内から三輪山を望む

春分の朝日 ZOUさんご投稿

お祭り
 4月第3日曜日 春季例大祭
 9月19日、20日 例祭

『平成祭礼データ』

多坐弥志理都比古神社
御由緒

 当社は神武天皇の第二皇子神八井耳命(多族の祖神)この地に降って天神地祇を祀る・・とあり自ら祭祀者となって,弥生文化の発達とともに大和平野における大規模な稲作農法の開拓者である多族の祭祀(まつりごと)の中心地として,社名にも伺い知ることの出来る水知津彦火(日)知津姫の二柱の神を古くより祀り多族の祖神である神八井耳命また末孫の日本最古の史書古事記,日本書紀簒録者である太安萬侶卿を学業の守神とし,また小子部すがるの命を保育の守神として広く崇啓され,ことに受験期には受験合格祈願の人々でたいへん賑わいます。
 また最近 太安萬侶卿の御魂がかつて例をみない1255年ぶりの御出現に依ってその霊威と御名にあやかって(やすらかに,まろやかに)と・・安産祈願,家内安全,交通安全無病息災等諸願成就に近郷近在はもとより遠く各地より参拝の人々が後を断ちません。
 以上

拝殿東側の招魂木とその実

参考
『日本の神々4』、『神社寺院大事典』

大和の神々
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