八幡神社

奈良県橿原市山本町152 地図

鳥居と拝殿

交通案内

近鉄橿原線畝傍御陵前 西1km 畝傍山を北に回り込み大師堂の前を東に行き、畝傍山に登る。



祭神

誉田別命

本殿




由緒

 八幡神社としての由緒は不明。
 『奈良県史−神社−』には、神八井耳尊の御陵との説が注記されている。


 『大日本地名辞書』(吉田東悟)には次のようにある。
 「畝火山《ウネビヤマ》北陵 神八井耳命(綏靖帝兄)の墓なり、大字山本に属す今|御陵山《ミササギヤマ》と称す、陵辺小祠あり岩井耳《イハヰミミ》と曰ふ。〔書紀通証〕聖蹟図志之を以て綏靖陵に擬せり主膳塚《シュゼンツカ》の名あれば也、日本紀云、神八井耳命、葬于畝傍山北。山陵志云、神武陵、古事記為畝火山之北方白橿尾上、尾上者山※[山+禺]如尾者、今畝傍山東、里人呼曰御陵山、墳然而隆起此也、大和志以此為神八井耳墓也、若果神八井耳之命、何以伝謂之御陵乎。山陵志の古事記白橿尾上の語に拠り論ずる所誠に以あり、而て今制定して神武陵と為す者は平野に居り、尾上と云ふ者に符合せず。然れども此山本の寝園は神武帝陵にや、又皇子墓にや、尚覈審を要す。」


 鎮座地を御陵山と云い、神八井耳命の墓との伝承があるが、神八井耳命の墓ならば何故御陵山と云うのかとあり、『古事記』には、「神武陵は畝傍山の北の方、白橿の尾の上にあり。」に相当しているので、平地にあるのが神武陵なのか、また御陵山こそ神武陵なのか、要検討としている。

本殿前の陽石

お姿

 畝傍山への登り口の途中に鎮座している。広場には草が生え茂り、足跡の少ない社域であった。
 元々八井神社と称されていたと云う。本殿前には陽石が置いてあるのも興味深い。


お祭り

 10月 12日 例祭


参考資料 『奈良県史−神社』、『平成CD』  

大和の神々
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