御杖神社
奈良県宇陀郡御杖村神末1020
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鳥居




祭神

久那斗神、八衢比古神、八衢比女神
摂社 八幡神社、道主貴神社、稲荷神社「大田命」、金比羅神社、秋葉神社、愛宕神社、藪中神社「久延毘古命」、龍田神社、木花佐久夜姫神社
須佐之男神社

拝殿


由緒

 大和と伊勢の国境の伊勢本街道に沿った要衝に鎮座、疫神であったようだ。祭神がそれを物語っている。承平四年(934)には伊勢神宮の神領である太良牟六箇山のうちであった。ここに集中的に国津神社が祀られ、黒葛が神宮に奉納されたと『神鳳抄』にあると『寺院神社大事典』に記載がある。

 式内小社御杖神社の論社。
 『大和志』には、「御杖神社は神末村に鎮座しており、今は葛明神と呼ばれている。近隣の八村が共に祭祀に預かっている。」とある。 17世紀央以前は九頭明神、国津大明神と呼ばれていたが、それ以降は牛頭天王と称する文献が多い。
 社蔵の棟札では、天文二十三年(1554)に「伊賀国名張上津江之宮」と記されており、上津江とは神杖、御杖のことであろうか。

 明治三〇年御杖神社と称するようになった。鎮座地の神末が御杖からの訛と云う判断もあって比定された。

 御杖神社の論社としては宇陀郡榛原町山辺三に鎮座する篠畑神社があげられる。『大和国風土記逸文』に「宇陀の郡、篠幡の庄。御杖の神の宮。云々」とあるのが論拠。

本殿


お姿

 多くの近隣の神社を合祀している。昭和五十一年までは個々に社殿があったようですが、この時の再建で現在の形になったとのこと。本殿下には適当に並べた可能性もある石柱が林立、これは山神と刻まれている。山神神社だけで23社を合祀したようだ。



本殿下の山神の群


お祭り

例祭 12月 4日、5日

姫石明神
御杖村敷津の岩坂峠の丸山公園の向こうを下る。mapfan

 御杖村史の姫石明神の解説  ななかまどさんから許可を得てコピペ。

 大字神末、敷津の名所の一つである。旧伊勢本街道に沿うて、岩阪峠の山頂、字トリヤが尾の南方の下にある。安山岩の滑らかな岩盤があってやや斜めになって、その末端に婦人が伏向き臀部を露出したような怪奇な形状をなしている。南向き女陰の形の穴がある。この石を姫石という。あたかも女性の性器の形そっくりである。

 これが御神体で高さ七寸、幅二寸、全く自然のくぼみである。全くの自然で人工のあとはない。穴の深さはわからないが、斜め上方に向かって狭まりつつトンネルの作っている幅一間、高さ三尺ばかりの妙なふくらみをもった岩の中央に、この御神体が開いている。小孔の長楕円形の上部に毛氈苔(もうせんごけ)という水草と水苔が叢生して、小孔の両脇に多く生じ、中央部よりは、チョロチョロと水が滴り、さながら成熟した婦人の局部に似ている。少し上の穴から赤い水が流れている。その下に左右にながく溝があり、水がたまっている。これを村人は赤い汁だという。月経の時が濃いという。時期によって濃淡があるという。この奥には一丈ばかりの大岩があり、その岩のもとから雑木が生えていて、その枝に祈りの紙切れが沢山結び付けられている。左の小指と親指とで白紙片を結び付ければ、良縁を得られ(特に婚期を逃した女性の縁談等)また、相思の男女は直ちに思いがかなえられるという。婦人病にも利益があるといわれる。



姫石明神



姫石明神


『式内社調査報告2』から御杖村の倭姫についての伝承

神末小屋神社の紅石 倭姫が賊に追われた時に紅・白粉を棄てられたので石が紅に染まった。

敷津の月見石 倭姫がこの岩に登って中秋の名月を観賞された。

姫石明神 倭姫が婦人病の平癒を祈られたところ

腰かけ石 敷津の伊勢街道にある石で、倭姫が腰をかけられた石

駒山 菅野字駒厩 倭姫が駒を入れられたと云う厩の形をした石

大和の神々
神奈備にようこそ