二見神社
五條市二見2ー6−46
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社景





 祭神

富須洗利命、水波能賣命

 吉野川が南へ湾曲して丹生川を迎えに行くような立地に鎮座している。二水が二見になったと言う。 従って祭神も水神であるとの見方が有力である。
 二見興玉神社などが鎮座している三重県二見町も、五十鈴川が二つに分かれて流れている。合流と分岐ではあるが、二つの河川に関わりがある所と思われる。


由緒

 また富須洗利命は木花佐久夜比売が天孫の瓊瓊杵尊として火の中で生んだ火闌命で、隼人らの始祖とされている神である。 網野・森対談『馬・船・常民』によれば、隼人集団は二つあり、霧島山を信仰する大隅隼人と、開門岳信仰の阿多隼人だそうです。五條市にはずばり式内小社の阿陀比売神社が鎮座、木花佐久夜比売を祀っています。阿多隼人は人数は少ないが、天皇家に妃を出す名門であり、当神社の鎮座する紀の川上流(吉野川と名を変える所)の宇智郡に住んでいたようで、その後裔氏族が二見首とされる。

本殿


お姿

 小高い峠に南向きで鎮座する狭い社域の神社である。 少数の熱心な氏子さん方に支えられている神社のように感じる。


お祭り

当屋祭 10月10日
例祭  10月22日



二見神社 平成祭礼データから
二見神社(雨師神社)御由緒

◎御祭神・富須洗利命(二見氏の祖神)・水波能売命(水の神様)

◎所在地五條市二見2丁目(旧小字雨師)

◎社務所〒637五條市二見4丁目1−9御霊神社・二見神社社務所宮司藤井治(〒 637五條市霊安寺町2079рO7472−3−0178)
古代、この地域に、二見氏が住んでいました。弘仁6年(815)編さんの『姓氏録 』に、「大和天孫二見首富須洗利命之後也」と記されており二見の村をひらいたのは、二見首で、首長おびと”が祖神を祭り、このあたりを治めていたと考えられます 。
延長5年(927)に編さんされた『延喜式』神祇志の巻に当時の全国の神社名が記 されており、この古い由緒ある神社の事を《式内社》と呼ばれています。
当二見神社は、《式内社》で、『延喜式』に次のように記されています。
「二見神社今在二見村(いまふたみむらにあり)蓋二見首貫本国者(けだしふたみの おびとのもとつくににして)祀其祖火 降命也(そのそほつせりのみことをまつるなり)」当二見神社は、いつのころからか、『雨師神社(雨主社)』とも称されるよう になり、ご祭神も「水波能売命」を祀るともされるようになりました。『大和志』(同名所図会)に「二見者布多美と訓むべし 祭神二見首祖二見村在す 今雨師と称す 」と記されています。二見は降水即ち雨の意とする解釈もあり、二見が雨師に転化したとする考証もありますが、吉野・丹生の川合にあるこの土地は、肥沃の土地で農耕 に適しておる一面、治水も最大の課題で有ったと考えられます。
私達の遠い祖先が、この土地に根をおろし、祖神を祭り、水の神を祭りながら、農に いそしみ、家内安全・豊作を祈り、感謝したことと思います。以上簡単に縁起を記し ました。
以上

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