孝靈神社
奈良県磯城郡田原本町黒田262 mapfan

鳥居

祭神

 孝霊天皇(大倭根子日子賦斗迩命)
 御脇立 倭迹迹日百襲姫命、彦五十狭彦命(吉備津彦命・桃太郎噺のモデル)、稚武彦命、他三神

由緒

 もと法楽寺の鎮守社であったが、明治時代初期に現社地へ遷座をし、黒田村の氏神として引き継がれた。旧地より移した物に、明和七年(1770)の石燈籠がある。

 岡山県や香川県など日本各地に残る桃太郎の伝説地の多くは、『古事記』、『日本書紀』に記されている孝霊天皇の皇子の彦五十狭彦命と稚武彦命兄弟の活躍に由来するものである。第七代孝霊天皇の黒田廬戸宮(いおと)は、田原本町宮古(都の意)から、この黒田のあたりを指し、この一帯は古代の地名を残した貴重な所である。

拝殿

 孝霊神社の周辺には、弥生時代の黒田遺跡や、古墳時代6世紀はじめの前方後円墳である黒田大塚古墳、またこの前の道は聖徳太子が通ったという太子道である。

本殿

たたずまい

 かっては法楽寺の鎮守社であり、法楽寺境内の江戸時代の図面にはそれが出ている。
 法楽寺の前には、孝霊天皇黒田廬戸宮の旧跡を示す碑が建っている。境内に珪化木とされる岩がひっそりと置かれている。磐座であったのだろうか。

 孝霊天皇は伯耆の国に足跡を残している。鳥取県日野郡日南町宮内には楽楽福神社(ささふくじんじゃ)が東西に鎮座、共に大日本根子彦太瓊命として孝霊天皇を祭神とし、溝口町の鬼住山と本町の鬼林山の兇賊を退治されています。鬼退治で、皇子の大吉備都彦命の桃太郎伝説とあいまっているようだ。
 黒田廬戸宮の近くに大塚古墳がある。前方後円墳のミニチュア。大和岩雄氏のよれば、ここから箸墓古墳は丁度冬至の日の出の方向にあたると言う。箸墓は皇女の倭迹迹日百襲姫命のねむる古墳と言われる。


交通 近鉄田原本線黒田駅西300m


法楽寺前の碑




法楽寺

 聖徳太子開基にかかわるとされる。
 真言宗御室派に属し、慶雲四年(707)には、元明天皇から「黒田山法性護国王院」の号を給い、弘仁年間(810〜24)には弘法大師の止住したという。
 伽藍坊舎は承元元年(1207)残らず焼失したが、その後再建された。室町時代二十五宇を数えた盛時を伝える板絵図があるが、今は一宇を残すだけである。


珪化木の岩




お祭り 10月9日 例祭

平成祭礼データ

第七代孝霊天皇の皇居なる黒田廬戸宮この地にあったと伝える。
以上

『神社と古代民間祭祀』大和岩雄、『寺院神社大事典:大和紀伊』

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