和爾坐赤阪比古神社
(わににますあかさかひこ)

天理市和爾町1194 mapfan


鳥居


交通案内
JR櫟本駅 東へ1500m

祭神
阿田賀田須命(赤坂比古命)、市杵嶋比賣命

摂社 山之神神社「大山祇命」

由緒
 赤阪比古神社の旧地は、現在地よりさらに北東に登った和爾池の南、天神山にあったという。
 『新選姓氏抄録』大和国神別に和仁古と言うのがあり、大国主六世孫阿太賀須命之後也とある。
 『新選姓氏抄録』摂津国皇別に和爾部を大春日朝臣同祖、天足彦国忍人命之後也、また、同書にの山城国皇別にも和爾部を小野朝臣同祖、大天足彦国押人命六世孫米餅搗大使主命之後、と記されている。すなわち和爾部の祖神が阿田賀田須命と言うことだろうが、上記神名との関連は不明。
 赤坂比古命とは赤坂の男神と言うことだが、さてこの赤坂とはどこだろうか。

阿田賀田須命、赤坂比古命を祀る神社は他には
福岡市博多区 櫛田神社摂社石堂神社「吾田片隅命」
福岡県宗像町玄海町 宗像大社摂社津加計志神社「阿田賀田須命」、氏八幡神社摂社「吾田片隅命」
福岡県宗像郡津屋崎町 大都加神社「阿太賀田須命」
奈良県大和郡山市 賣太神社摂社八柱神社「赤坂比古命」
愛知県春日井市 両社宮神社「阿田賀田須命」、朝宮神社「阿太賀田須命」、天神社「吾田片隅命」、和爾良神社「阿太賀田須命」
新潟県西蒲原吉田町 赤坂諏訪神社「和爾坐赤坂比古命」
群馬県安中市 榛名神社「赤坂彦神」

ワニ、サメ、サヒ、やはり九州からだろうか。

大和岩雄氏は備前国赤坂郡に注目する。
 ワニ氏は、和爾坐赤坂比古神社や和爾下神社の地から南には石上神宮(天理市布留町布留山)、北には春日大社(奈良市春日野町)の地域に勢力をもっていた。ワニ氏は石上神宮の祭祀氏族で、『延喜式』神名帳の備前国赤坂郡に「石上布都之魂神社」が載り、赤坂郡の郡名は、「ベンガラ朱」ないしは鉄にちなむ地名である。
 備前の石上布都之魂神社の近くの伊田山からは銅が、西山村城山付近からは褐鉄鉱の砂鉄が、美濃の赤坂にある金生山からは銅・鉄が産出する。そのことから、和爾坐赤坂比占神社の赤坂が、もまた、金属に閑係すると見ていい。

 『石上振神宮略抄』所載の「神主布留宿彌系譜」に、
十七代仁徳天皇御宇、市川臣二勅シテ、吉備神宮に祭ル天羽斬剣ヲ石上振神宮二遷シ蔵メ加へ祭云々。干時市川臣ヲ振神宮ノ神主二補ス。神主職ノ起也。
とある。このように、備前の石上神社は、大和の石上神宮とは深くつながっているようだ。 備前の石上神社が鎮座する岡山県赤磐郡吉井町石上の地は、『和名抄』の宅美郷、または鳥取郷に属すといわれている。 『赤磐郡誌』では赤坂郡と磐梨郡が合併して赤磐郡になったのだが、「我が国で剣工と云へば備前、備前と云へば我が郷土即ち 赤磐郡及其の周辺を込めた地である。其の内最初の古剣工は、私共の研究で云ふと、宅美剣工を以て、第一のものとする」と書いている。石上神宮の神宝の剣は、この備前赤坂の工匠たちが作ったもので、そのことが『石上振神宮略抄』の伝承を生んだと考えられる。 和爾坐赤坂比古神社の赤坂と備前赤坂郡の赤坂の関連、石上神宮と石上布都之魂神社の関連からみて、ワニ氏は採鉱、 金属精練と無関係とは思えない。
など大和氏の論述は続くのであるが、ワニ氏が石上神宮祭祀氏族であったこと、神宮の神剣のルーツを物語って面白い所がある。

お姿
  鎮座ちは古墳の上だそうだ。和爾下神社の場合には明らかにわかるのだが、ここの場合にはただの丘のごとく開発されているので、気が付かない。神域は小さい。

本殿


お祭り

 春祭  2月17日   秋季例大祭  10月10日

『古代史の海 69号 2012.9』 「ワニ考」野田昌夫氏

『古代史の海 70号 2012.12』 「ワニ考追補」野田昌夫氏

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