将軍神社

吉野郡吉野町色生483 mapfan


境内から見た鳥居


交通案内
近鉄吉野線大和上市からバス 窪垣内下車 北へ3.5km 小名川の近く。


祭神
 大日貴大神


由緒
 由緒不明。創建については、神社に鏡などの伝来品があり、藤原時代と推測されている。江戸時代では元禄の頃に祀られていたことが判明している。
 伝来の鏡については『吉野町史』は下記のように記している。
 山吹双鳥鏡、草花双鳥鏡(表面に火焔摩天など三体毛彫あり)、菊花散双鳥鏡、菊花双雀鏡、鏡残欠
 はじめの二面は藤原時代の名作、後の二面は室町時代、焼痕が認められる。

 小名川を遡れば、字小名に小名牟遅神社(こなむちじんじゃ)が鎮座、小名牟遅神とは少彦名神のことと云う。この神社もいつごろからか春日明神、九頭明神を祀るとされている。少彦名神と九頭神との同一視を物語るようだ。


社殿(神明造一間社)

お姿
 地図には掲載されておらず、神社にも社名を記載したものはなく、たまたま下の道を通りかかった方に尋ねた所、将軍神社とわかった次第。
 所謂国栖神社や九頭神社の多い地域で、交通の要所にあたる当地に藤原時代の鏡を持つ神社が鎮座していたと云うことは何を意味するのだろう。神社名の将軍とは何だろう。
 クズの地の要所に「将軍」、例え古い鏡を持ち込んでの神社であっても、室町時代の鏡も伝来されていることから見れば、実際の創建はその頃かも知れない。南北朝の頃、当地は南朝に味方をしていたようで、吉野への進軍の通路の一つだった。


お祭り
 10月22日 例祭

参考書 『奈良県史5』、『吉野町史』
大和の神々

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