吉野 水分神社を過ぎて金峯神社の奥まで




 牛頭天王社跡

吉野郡吉野町吉野山

交通案内
吉野水分神社を過ぎて10分ほど


説明

 環境庁と奈良県の説明板がある。
 牛頭天王とは、釈迦の説法同上である祇園精舎の守護神であったと伝えられ、日本では素盞嗚尊のことであるとなっています。
 当地の東方、高城山にあったツツジが城の鎮守として建立され、厚い信仰を集めていましたが、明治初年の神仏分離により、廃絶されてしまいました。
 以上
 古文書に「牛頭宮、表行壱丈四尺内陣三尺八寸御拝四尺」とあるそうだ。*3
 明治初年まで付近に人家もあり、境内では盆踊りなども行われていたと云う。子守の八王子社などに分霊を勧請したそうである。
 吉野八社明神の一。

牛頭天王社跡



お姿
 まったくの休憩地になっており、ベンチも置いてあるのだが、かっては建物があったような起伏が残っている。




 愛染の宿

吉野郡吉野町吉野山

交通案内
金峯神社から少し西行庵の方へ行き、大峰山の方向に登ると10分


由緒
 愛染宝塔院(安禅寺)跡のこと。宝塔は桓武天皇の時代で、起源は奈良時代末までしかさかのぼれない。 明治の初めに廃寺となった。仏像や建物の一部は移転したが、大半は朽ちるままであり、 宝塔に火をつけて燃やしてから金具を拾い集めたそうである。*1 神仏分離が排仏棄釈にまで突っ走っている。

 吉野の住人のヒフミさんによりますと、に吉野における修験者達の集う本来の場所だったとのこと。
 現在は金峯神社だと同神社での説明があった。

愛染の宿跡

*1 『吉野−悠久の風景』上田正昭編 講談社
*2 http://www.butsuzou.com/jiten/hatidai.html
*3 『大和紀伊 寺院神社大事典』平凡社

吉野町の神々

大和の神々
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