犬鳴山の神々
大阪府泉佐野市大木8番地 .its-mo

犬鳴山への入り口二態
 

交通

南海泉佐野駅、JR日根野駅、JR熊取駅からバス犬鳴山行き



七宝瀧寺 本尊

倶利伽羅大竜不動明王

広場の不動明王

参道からの景色



由緒

 斉明天皇七年(661)役行者二十八歳の開基と伝わる。大和大峰山より六年前に開かれた故、元山上と呼ばれている。また葛城二十八宿修験の根本道場。

 犬鳴山の名称は『和泉名所図絵』では次の説話によるようだ。
 昔、猟師ありて犬を牽、此山に入て、一ツの鹿を窺う。傍に巨なる蛇あり。頭を挙て、かの猟夫を呑んと向う。猟師が意、鹿にあって、これを知らず。犬、数声を発し、頻に鳴て、其主に告る。猟夫、いまだ其由致を暁る事能はず。鹿、犬の吠るに驚ひて去りぬ。猟夫、犬に怒て其犬を斬る。犬の頭、忽、踊て蛇を囓殺す。於是、其鳴事の妄ならざる事を知る。其時、人、咸、曰、此犬は不動の使獣、是、偏に明王の霊験なり。猟夫、感嘆して此寺に入、薙髪して、永く殺業を罷ける也。故に、犬鳴山という。そう言えば、途中に犬の像と墓があった。写真は撮らなかった。

岩屋行者尊−出迎え行者の倚像

 修験道はこの国の古来からの山岳信仰に仏教、道教(陰陽道)があわさった信仰で、古代から中世にかけての庶民の心の支えとなっていた宗教。厳しい山岳での修行で人間の験力を極めるもの。比叡山の千日回峰もその要素がある。修験道は、役小角以前からあったが、小角によって集大成されたとの伝承が形成されて来た。

 葛城二十八宿とは、役小角が設けていったとされる行場であり、葛城の峰を仏法の世界と見立てて、法華経二十八品をそれぞれ経筒に入れて埋納した。葛城の峰とは、加太の海から和泉山脈(和泉葛城山と南葛城山がある)から、大和の金剛葛城山から二上山を経て大和川に至る壮大な山系であり、海、山、川と一つの連鎖をなしている場である。第一品はオノゴロ島と見なされている友ガ島であり、ここに日本の神々のルーツが海なのだと言うことが如実に語られているようだ。まさに如来が河内に至る、ニライカナイの再現を見る。

 犬鳴山へ踏み込むのは樫井川の支流の犬鳴川沿いに和泉砂岩の渓谷をゆるやかに登っていく。ほどなく行者尊が出迎えてくれる。
 奉告の碑文を紹介する。
 深山幽谷瑞雲立ち込む将に神住むとい、葛城修験奥之院の犬鳴山では、古来より参道口の笈掛岩の隣の岩屋には前鬼後鬼を従えた役之行者尊が峰よりお下りになられて、ここに端座され、此の峻山に詣登り来る修験者を昼夜を問わず迎えて下さつていると言い伝えられています。爾来、世に岩屋行者と親称され、実に千年以上にも永くに恒って、私たち修験に励む者を深くご慈愛下さり、ここより辿りゆく数々難所行所を無事にとご霊導下さっています。その悉地円満所願成就の御請願、またその無量無辺の慈悲の大御心は将に至尊の不動尊のものかと思われます。ところで、かくも尊く有難き行者尊もそのご尊像は歳月を経る長い風雪の果てに御身体は傷み錫杖も落とされ、さらには頼みとする後鬼ともお離れになられて既に久しくなります。誠にもって諸人忍び難く畏れ多いことと言わざるを得ません。玄に先年、近代在の同憂の諸氏と相謀り当山の許可の下、皆々様より浄財を得てささやかな修復をさせて頂きました。もってここにその由を刻記し、併せて、迎えの役之行者二尊の御威徳を改めて讃仰し奉賛する次第であります。

 山高く谷川深き犬鳴の 山を開くは後の世のため

 橋を渡ると岩と鳥居だけが見える。稲荷神を祀るようだ。

左 金高稲荷、右 白玉稲荷大明神

 岩だらけの参詣道は流れる水音も絶えることがないと言う。荒々しい雰囲気のなかに瑞龍門が現れる。山門と言うこと。一歩足を踏み入れると苔生す庭が目に入る。まったく雰囲気が変わる静かな道になる。

瑞龍門

 大阪府が昭和十四年に史蹟名勝天然記念物に指定した看板がある。
 役小角の開基と伝承さる
 古刹七寶滝寺を中心とせる一連の地区は
 和泉砂岩層が水蝕によりて大木川の渓谷
 をなき岩質の硬軟層位の状態より両界滝
 等の七飛瀑となり奇巌碧渾は春花秋樹と
 犬鳴山の名は寛平年間の義犬の伝説によ
 るといふ。

 次々と現れる神々を紹介していこう。

発達繁昌の守護 神明大権現

 神明大権現は徳川上代の当山中興、見滝上人が寛文十年当山普住にあたり、本尊不動明王に奉告勤行のため、本堂へ向かわれる途中、現在の霊地にさしかかったとき、黒竜白竜二竜王の昇天の奇瑞を拝せられた。上人いたく感激されてこの黒白二竜を当山の護法神として神明大権現の御神号を呈し奉り祭祀せられた。爾来発達繁昌を念ずる参拝者の絶えることがなかった。
 またいつの頃からか頭部を医する神、中風除けの守護としても霊験あらたかなりと崇信せられるようになった。

九頭龍大神

縁切大神  悪縁を切りたい方はどうぞ。

大岩魂大神

岩屋不動尊 足神 足部の無病息災を祈る。

 釣鐘堂があり、広場に出る。身代わり不動尊の巨像が鎮座している。それに向かって右側に熊野大権現社が鎮座している。その横を通り、急な山道を登り切ると経筒のある燈明ケ岳に出る。一歩登れば二分は滑り落ちると言う歩きにくい道。今回は見送った。

韋駄天将軍神 足腰に悩みの方

 韋駄天将軍神はヴェーダといい
 また塞建陀又は建陀とも音写している。
 足の速い者を韋駄天走りと呼んでいるのは
 釈尊涅槃の際に足の速い捷疾鬼と云う鬼が
 釈尊の仏舎利を盗みさろうとしたとき追いかけて行き
 奪い返したと伝説により走ることの一番速い
 天部の神として崇拝されている。
 形像は甲冑を着て正立し両手を合掌して宝剣を横たえて
 捧げていられる勇猛なお姿であり
 将軍と云われるゆえんである。以下略

 拝み方 南無足腰堅固韋駄天神 七枝
    オンスカンダソワカ  二十一枝

ボケ除け不動尊 念入りにどうぞ。

鎮宅不動の名を持つ。

鎮守社 八大竜王
 

南無三宝荒神

 犬鳴山には古来より三体の荒神を祭祀されていますが、此の社に祭祀されている荒神は剱婆荒神と申し上げ、特に威猛けき荒神と云われている。

 行場の滝に行者尊の像があり、修験者と男女二十人位が般若心経を唱えていた。 手前が本堂であり、倶利伽羅大竜不動明王が鎮座している筈だが、扉は閉まったままで秘佛のようだ。

行場の滝の風景

本堂

大本山犬鳴山七宝滝寺公式ホームページ

葛城二十八品紀行に戻る

神奈備にようこそに戻る