葛城二十八宿 第二十三品



葛木一言主神社

 文武天皇の御代、葛城の役小角(高賀茂朝臣と云う者)が鬼神たちに吉野の金峰山と葛城山との間に橋を架け渡せと命じた所、葛城の一言主大神が人に憑いて、役小角が天皇を滅ぼそうと陰謀を企てていると讒言した。そのため役小角は伊豆の島に流されるが、大宝元年(701)に許されて仙人となって飛び去ったと云う。その後一言主大神は役小角のために呪縛され、今の世に至るもその呪縛は解けていないという。

 

綏靖天皇葛城高丘宮址

 また仁徳天皇の后の磐之媛の生家があった所と云われている。
 后が紀州へ神祭りの木々を収集しに行っている間に、天皇が浮気をし、嫉妬深い皇后は天皇の元に戻らず、山城に行ってしまった。その時の歌。

 つぎねふや 山代河を 宮上り 我が上れば あをによし 奈良を過ぎ 小楯 倭を過ぎ 我が見が欲し國は 葛城高宮 吾家のあたり

 

猿目の六地蔵

 『葛嶺雑記』には「くじら村字さるめのじざういふ所なり」として経塚の二十三之地としている。

 

地蔵寺の経塚


 場所は小林口と云うバス停から200mほど西に道なりに歩くと、左手(南側)にお堂と経塚が見えてくる。mapfan

薬王菩薩本事品第二十三之地

『葛嶺雑記』 嘉永三年(1850) 三浦茂樹 から

 葛城山一言主寺  和州葛上郡森脇村 此辺五條御代官支配所 聖護院宮御末寺真言古義

 本社一言主神、右に文殊、十一面、左に弥陀本地不動尊、摂社は聖権現とて越の泰澄師を祀る。本地不動尊、末社八幡・天満宮・住吉・八王子・出雲社・弁才天・神功皇后社等、此寺より茅原へ三十丁道よし。

 倶尸羅経塚  同国郡くじら村字さるめのじざうといふ所なり
妙   薬王菩薩本事品第二十三之地  此辺久米路にちかし
岩橋のくしる世にこそなほみたし華にあけゆく神の顔はせ
 

 


参考資料  『寺院神社大事典大和紀伊』、『葛城の峰と修験の道』


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