少彦名神社
大阪市中央区道修町2丁目 ゼンリン



 祭神 少彦名命 配 神農氏

 少彦名大神は日本の薬祖神、神農神は中国の薬祖神である。大坂の薬の町である道修町の守護神で、健康、安全、無病息災を祈願する神である。 1,790年に京都五条天神から少彦名命を勧請した。
 張子の虎は病除のお守として名高く、大阪郷土玩具の一つにもなっている。

たたずまい



 道修町のビルの谷間に鎮座している。楠の木が神木である。

お祭り

神農祭 11月22日23日 
 大阪の祭りは今宮戎神社の十日戎から始まり、この神農祭で終わる。「とめの祭」と呼ばれる。

「神農さん」と「道教」との関係

 徳川吉宗が大阪で病の床に臥した際、道修町から献じた薬でたちまし回復したと言う。繁栄のきっかけとなった。
 少彦名神は『伊予風土記』や『伊豆風土記』には温泉を開いた神として記載されている。またこの神は「常世」の国に去っていったとある。 「常世」は垂仁紀によると「神仙の秘区」であり、道教の神仙世界のことである。また『伊予風土記』温泉の条の「湯の岡碑文」には「なんぞ寿国に異ならん」という文言がある。 これは道教思想にもとづいた内容である。少彦名神は道教思想と深いかかわりを持つ神であった。
 日本に伝わった最古の薬の書は『神農本草経』で、これは6世紀に導士の陶弘景の復元したものである。それ故に、異神の合祀はまかり間違えば災難をもたらすと言う。 例えば天照大神と大国主のように嫌う組み合わせであるが、少彦名神と神農氏のように共通点が多く、二神は一体として認められたということである。
        以上参考−『日本史を彩る道教の謎』から−

 神農氏
 『史記』によると、伏犠(ふくぎ)に次いで皇帝になったのは、炎帝神農氏である。彼は全国を歩いて多くの草をなめ、毒草と薬草を区別して薬を発明したとされる。 伝説では、彼の母は頭が龍になっている神の気に感じて神農氏を生んだ。身体は人間であるが、頭は牛だったという。
 また、闇夜の不便さを痛感し、油性の草木を探し燭火を作ったので、炎帝と言う。別に五穀爺ともいう。
        以上参考−『道教の神々』から−
 





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