三輪山
二 天津おとめ
嵯峨天皇は儒教精神で治世を行い、この国を唐土のようになった。唐のものを尊び、王羲之の真筆と思って唐から購入して、空海に自慢したら、それは空海の習筆だったとか。 次の淳和、仁明、文徳天皇の代には仏教が重視された。仁明天皇の寵臣良岑宗貞は色好みの男だったが、これを軽薄として憎む人もあり、仁明天皇の死後、朝堂から姿を消す。清水寺での小野小町との歌のやりとりがきっかけで、仁明皇太后に捜しだされ、朝廷に戻り、後には僧正の位にまで登る。これは仏教を信仰したおかげではなく、単なる幸運だった。
沼島の岩神さん
四 二世の縁
山城の国古曾部(高槻市古曽部町)の富農が、庭の隅で鉦がなっているのに気付き、掘り出してみると、意外にも。禅定に入った男がミイラで出土、介抱で蘇生した。前世は高僧だった男はその面影は全くなく、やがて村のやもめと一緒になり、荷担ぎで世を渡った。この様子を見ていた人々は仏教を迷妄として捨てる者もあった。入定して蘇生したら最低の人間として生き返るということ。
三上神社
六 死首の咲顔
摂津国兎原郡宇智弖の酒造家の五曽次の息子五蔵は、同族の元助の妹宗と恋仲になる。五曽次は結婚を許さず、宗は病にかかり、やがて危篤になる。五蔵は元助と相談して、宗に嫁入り支度をさせて我が家に迎える。五曽次は許さず、宗はせめて庭に入って死なんと云う。五蔵は宗の手をとって家を出ようとすると、元助は「汝はこの家にて死ぬべし。」と、宗の首を切り落としてしまった。
青の洞門
八 宮木の塚 貴種に生まれ、絶世の美女である宮木は、貧困ゆえに乳母に騙されて神崎の遊女屋に売られた。河守十太と婚約していたいたが、駅長の横恋慕にあい、十太が毒殺されてしまった。そうして宮木を我が者にしてしまう。やがて、真相を知った宮木は法然上人に念仏を授けられ、入水自殺を遂げた。 生田の森が宮木と十太の逢い引きの場所だったと云う。
九 歌のほまれ
『万葉集』の歌、「和歌浦に潮満ち来ればかたおなみあし辺をさしてたづ鳴わたる」と云う赤人の歌がある。九一九。 聖武天皇の歌、「妹に恋ふ あごの松原みわたせば潮干の潟にたづ啼わたる」一〇三〇。 高市黒人の歌 「桜田へたづ鳴わたるあゆちがた潮ひのかたにたづなき渡る」二七一。 読み人知らず 「難波かた潮干にたちてみわたせば淡路の島へたづ鳴わたる 一一六〇「 赤人の歌が、これらに類似しているのは、昔の人は、思うがまま、素直に歌ったからで、これこそが誠の歌の道である。