阿波國:50座 大3小47



板野郡[イタノ]:4座大1小3

大麻比古神社[ヲホアサヒコ](名神大)
大麻比古神社[おおあさひこ]「大麻比古神 配 猿田彦神」
阿波一宮 大麻比古神社御由緒
御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神
神武天皇の御代、天太玉命の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め阿波国に至 りまして、麻楮の種を播殖し麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め 給ひその守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。
大麻比古神社は太祖天太玉命と猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられ る。猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐ししが後世に至り本社に合わせ祀ると伝 えられる。
延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え阿波・淡路両国の総産土神として崇め奉 る。清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇亨保四年正一位 に進み給ふ。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、 藩費を以て社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。明治六年国弊中社に列す。明治十 三年国費を以て本殿以下の造営が行はれ。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十 五年氏子崇敬者の寄進によって造営された。
大麻比古神社は古来、方除け、厄除け、交通安全の神として霊験を授け給い、県内外 の氏子崇敬者から『大麻さん』又は『大麻はん』と親しみをこめた御名で崇められ、 厚い信仰が寄せられている。
猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐ししが後世に至り本社に合わせ祀ると伝えられるとの話は神社側が古来より祭神を忌部氏の祖とする為の努力の現れである。 徳島県鳴門市大麻町板東字平草広塚13 玄松子の記憶

鹿江比賣神社[カエヒメ]
葦稲葉神社に合祀[あしいなば]「鹿江比賣神、葦稻羽神」
葦稲葉神社由緒
葦稲葉、殿宮神社御造営記念碑
葦稲葉神社は葦稲葉大明神と号し倉稲魂命、鹿江比売命を殿宮神社には素盞鳴命を夫 々主祭神として奉祀せり、神宅も亦神社と由緒浅からぬもの有り
この三社大明神特に式外社とす神位高き葦稲葉神社は由緒厚き古社にして人皇五十四 代仁明天皇承和九年從五位の下を授けられ五十六代清和天皇貞観九年四月二十三日從 五位の上を授けられ同十六年三月十四日從四位の下を授けられ五十七代陽成天皇元慶 三年六月二十三日從四位の上を賜わり斯古来上下厚き尊崇を受けたり
しかるに当神社の御拝殿並に御神輿庫は幾十星霜を経て老朽ちるは著しきため御神慮 を畏みまつる氏子、崇高者の総意を結集し曩に御造営奉賛会を結び総意を以って多額 の浄財を寄進す。
氏子総代はじめ奉賛会役員委員一同誠意を盡し昭和の御造営見事竣成す
茲に神徳崇高なる葦稲葉神社、殿宮神社の御造営の概略を記し永く後世に傳へんとす
徳島県板野郡上板町神宅字宮ノ北45
大麻比古神社境内の野神社「鹿江比賣神」 徳島県鳴門市大麻町板東字平草広塚13 玄松子の記憶

宇志比古神社[ウシヒコ]
宇志比古神社[うしひこ]「宇志比古尊」徳島県鳴門市大麻町大谷字山田66 玄松子の記憶
大麻比古神社境外摂社の宇志比古・宇志比賣神社「大己貴命、少彦名命」徳島県鳴門市大麻町板東字中宮東 玄松子の記憶

岡上神社[オカノウヘ]
岡上神社[おかのうえ]「豐受姫命 配 日本武命、草野姫命、市杵嶋姫命、奧津比賣命、猿田彦命、楠木正成」徳島県板野郡板野町大寺字岡山路7 玄松子の記憶


阿波郡[アハ]:2座並小

建布都神社[タケフツ]
建布都神社[たけふつ]「建布都神」徳島県阿波郡市場町香美字郷社本18  玄松子の記憶
建布都神社「武甕槌神、經津主神」徳島県板野郡土成町郡字建布都569
赤田神社[あかんだ]「武甕槌神、經津主神」徳島県板野郡土成町成当字大場1450 玄松子の記憶
八幡神社に合祀「譽田別命」徳島県阿波郡市場町香美字八幡本176 玄松子の記憶
伊笠神社[いがさ]「天之二上命」徳島県阿波郡市場町犬ノ墓字白水伊笠山上194 玄松子の記憶

事代主神社[コトシロヌシ] 
事代主神社「事代主命、大國主命」徳島県阿波郡市場町伊月字宮の本100-1 玄松子の記憶


美馬郡[ミマ]:12座並小

鴨神社[カモ]
鴨神社「別雷命」徳島県三好郡三加茂町加茂字山ノ上3650-1 玄松子の記憶

田寸神社[タワ]
田寸神社[たき]「田寸津彦命、田寸津比賣命」徳島県三好郡三野町大字加茂野宮1945 玄松子の記憶
八幡神社「大己貴命、應神天皇、武内宿禰、神功皇后」境内周囲に板状の青い結晶片石岩を玉垣のように立て並べている。土地の人々は皇護石と呼んでいる。上郡地方には交合岩と言う巨石信仰があった。 また東方2kmに真言宗林下寺があり、お花大権現と呼ばれ、性神信仰のメッカである。皇護石は磐座でこの列石は神籠石状の磐境で全国的に珍しい例である。 徳島県三好郡三加茂町三庄字中庄村道南1187 玄松子の記憶
西照神社「月読命、市杵島姫命、田寸津比売命、田寸比売命」阿讃山脈・大滝山(944m)の頂上に西照神社があります。西照神社は月読命・市杵島姫命・田寸津比売命・田寸比売命を祀っています。 徳島県美馬郡脇町字西大谷672 玄松子の記憶

横田神社[ヨコタ]
横田神社「?」徳島県三好郡三加茂町加茂字中村 玄松子の記憶

伊射奈美神社[イサナミ]
高越神社[こうつ]「天日鷲命 配 天御中主神、伊弉諾命、伊弉册命、天照皇大神、安閑天皇、國常立神、高皇産神、神皇産神、三十八社神、瓊瓊杵神、天兒屋根神、齋主神、武雷神、大山祇神」この社は論社として疑問もあり、社も強く主張していない。
徳島県麻殖郡山川町字木綿麻山4 玄松子の記憶
伊射奈美神社[いざなみ]「伊射奈美命、武甕槌命、經津主命、猿田彦命」淡路の対岸板野郡は粟の凡直氏の本拠地であり、紀伊水道の沿岸には凡氏の姓を持つ海人族が分布し、摂津河内にも強大な凡氏がいた。安曇氏の一派と推定されているが、このような海人系の氏族が吉野川をさかのぼって勢力を扶植した地域が美馬郡に点在したイザナミ信仰の地域であろう。 徳島県美馬郡穴吹町三島字舞中島52 伊射奈美神社 伊射奈美神社 by 風姿 玄松子の記憶
八幡神社「譽田別命 配 氣長足姫命、姫大神、伊邪那美命」徳島県美馬郡脇町猪尻字八幡神社下南1 玄松子の記憶

建神社[タケ]
建神社「素盞嗚命」徳島県美馬郡半田町逢坂62
竹神社「猿田彦命」徳島県三好郡池田町松尾字大申246 玄松子の記憶
建神社「建速須佐之男命」徳島県美馬郡脇町猪尻建神社下南 玄松子の記憶

天椅立神社[アメヨリタチ]
天椅立神社[あまのはしだて]「伊邪那岐命、伊邪那美命」椅立とは立て椅の意、地上から天に向かって立つ柱である。伊勢神宮の心の御柱、諏訪大社の御柱と同じ神性機能を有する。 徳島県三好郡三好町大字昼間字宮内3 リンク 天椅立神社 玄松子の記憶
天戸八坂神社[あまどやさか]「高皇産靈神、豐磐間戸神、櫛磐間戸神、素盞嗚神」徳島県三好郡三好町大字昼間字上光明寺3751 天戸神社 玄松子の記憶

天都賀佐古神社[・・カサヒコ]
天都賀佐彦神社[あまつかさひこ]「級長津彦命、級長津姫」徳島県美馬郡美馬町轟32 玄松子の記憶
天都賀佐彦神社[あまつかさひこ]「不明」徳島県美馬市美馬町重清西荒川徳島県美馬市美馬町重清西荒川************************

八十子神社[ヤソコ]
蜂須神社[はちす]「八千矛命」徳島県美馬郡貞光町端山字宮平7 玄松子の記憶

弥都波能賣神社[ミツハノメ]
武大神社[たけお]「稻田姫命、八氣蛇猛命、素盞嗚命」徳島県三好郡井川町井内字黒松1042 玄松子の記憶
八大龍王神社「彌津波能賣命」徳島県美馬郡脇町拝原1030 玄松子の記憶
建神社「建速須佐之男命」徳島県美馬郡脇町字建神社下南 玄松子の記憶
八坂神社「素盞嗚命」折口信夫はこの神社について「大和のミツハノメとミツハ・ミヌマの一つのものなるを示している」とし、ミヌマは宗像三女神を祭る水沼氏にかかわる、ミツハメノは食料としての水の神であるとの指摘をしている。 徳島県美馬郡美馬町字滝の宮 玄松子の記憶BR>
波尓移麻比神社[ハニヤマヒメ]
馬岡新田神社[うまおかにった]「埴山姫命、天神玉命、新田義治、倉稻魂命」徳島県三好郡井川町井内字馬場ノ西22 玄松子の記憶
埴山姫神社「?」 三尺四方の小祠である。徳島県美馬郡脇町北庄字原 玄松子の記憶

倭大國玉神大國敷神社2座[ヤマトオホクニタマノ・・]
医家神社[いげ]「大國主神、少彦名神」徳島県三好郡池田町字マチ2286 玄松子の記憶


麻殖郡[オヱ]:8座大1小7

忌部神社[イムヘ](名神大。月次新甞。或号麻殖神。或号天日鷲神。)
忌部神社[いんべ]「天日鷲命」徳島県徳島市二軒屋町2−48 玄松子の記憶
山崎忌部神社[やまさきいんべ]「天日鷲翔矢尊、天日鷲命、津咋見命、后神言筥女命、天太玉尊、后神比理能賣命、長白羽命、由布洲主命、衣織比女命」徳島県吉野川市山川町忌部山14 玄松子の記憶
五社神社[ごしゃ]「大己貴命、倉稲魂命」徳島県美馬郡貞光町大字端山字長瀬197 すえドンのフォト日記
御所神社[ごしゃ]「天日鷲命」徳島県美馬郡つるぎ町貞光字吉良 玄松子の記憶

天村雲神伊自波夜比賣神社2座[アマムラクモノ・・・]
天村雲神社[あめのむらくも]「天村雲命、伊自波夜姫命」徳島県麻植郡山川町字村雲133 玄松子の記憶

伊加加志神社[イカカシ]
伊加加志神社[いかがし]「伊加賀色許賣命、伊加賀色許雄命、天照大神」徳島県麻植郡川島町大字桑村字大明寺1635 玄松子の記憶

天水沼間比古神(社)天水塞比賣神社2座[アマツヌマヒコ・アマツミツセキヒメ]
敷島神社[しきじま]に合祀「事代主命」徳島県麻植郡鴨島町敷地1339 玄松子の記憶

秘羽目神足濱目門比賣神社2座[ヒハメノ・・・]
杉尾神社[すぎお]「天水沼間彦神、天水塞姫神」徳島県麻植郡鴨島町牛島字杉尾200 玄松子の記憶
中内神社[なかうち]「祕羽目神、足濱目門比賣神」徳島県麻植郡鴨島町西麻植中筋58 玄松子の記憶
八幡神社「譽田別天皇、祕羽目神、足濱目門比賣神」徳島県麻植郡川島町児島字前池北49 玄松子の記憶


名方郡:9座大1小8

天石門別八倉比賣神社[・・ワケクラヒメ](名神大。月次新甞。)
一宮神社「天石門別八倉比賣命、大宜都比女神」
一宮神社略記
一、大宜都比売命 御別名 天石門別八倉比売命を奉祀する 衣食 農業 商業 開 運の神で 又縁結び 安産の守護神と信仰する人が多い。
一、延喜式内大社天石門別八倉比売神社に充てられる古社で一宮大明神と奉称せられ  阿波国一宮 八倉比売命を祀るから明治維新まで八月八日が御祭礼日 神仏分離まで四国巡拝の霊場であった。
一、小笠原氏は 一宮城を構え 大宮司に任じ 蜂須賀侯も社殿を造営し 御初穂  御神馬を奉献 篤く崇敬した 氏子の尊崇は今に変らない。
一、一宮町の地名 一宮城の称等は 一宮大明神が千年の昔から此所に御鎮座ましま すに由来すると思う。
一、春祭四月二日 秋祭十月十八日 新嘗祭十二月十八日
徳島県徳島市一の宮町西丁237 玄松子の記憶
天石門別八倉比売神社[あめのいわとわけやくらひめ]「大日女命」はじめは気延山頂上にあり国見山的な性格であった。現在は前方後円墳の前部に鎮座、頂上には五角形の磐座が築かれている。徳島県徳島市国府町矢野字宮谷531 玄松子の記憶

上一宮大粟神社[おおあわ]「大宜都比売命」徳島県名西郡神山町神領字西上角330 玄松子の記憶

天石門別豊玉比賣神社[・・トヨタマヒメ]
雨降神社[あまたらし]「豐玉姫命」徳島県徳島市不動西町丁目2024 玄松子の記憶
竜祠(天石門別豊玉比売神社)「豐玉姫命」徳島市城内西南 

麻能等比古神社[マノ・・]
大麻比古神社[おおあさひこ]「猿田彦命」徳島県徳島市明神町6丁目2 玄松子の記憶

和多都美豊玉比賣神社[ワタツミトヨタマヒメ]
王子和多津美神社[おうじわたつみ]「豐玉姫命」徳島県徳島市国府町和田宮の元20 玄松子の記憶

大御和神社[オホミワ]
大御和神社[おおみわ]「大己貴神 合 大山神」徳島県徳島市国府町府中字田渕644 玄松子の記憶

天佐自能和氣神社[アマサシ・・]
天佐自能和気神社[あまさじのわけ]「天佐自之和氣大神」徳島県徳島市不動東町4丁目宮西569-1 玄松子の記憶

御間都比古神社[ミマツヒコ]
御間都比古神社[みまつひこ]「御間都比古色止命」長国造の韓背足尼が祖神を祀ったと言う。長国は那賀郡那賀川流域を中心とする一帯と推定されている。 徳島県名東郡佐那河内村下モノミ石74-2 玄松子の記憶

多祁御奈刀弥神社[タケミナト・・]
多祁御奈刀弥神社[たけみなと]「建御名方命 配 八坂刀賣命」
由緒
当社は石井町浦庄字諏訪に鎮座し、建御名方命・八坂刀売命をお祀りしている。
延喜式内小社。歴代藩主蜂須賀候の尊崇極めて篤く、毎年当社の御例祭には参拝又は 代参せられし趣にて、殊に寛永年中第四世蜂須賀光隆君疱瘡にかかられし際当社に御 祈願あり奇瑞著し。又参拝道中鮎喰川の出水に遮られる事のあるため、現在の佐古町 諏訪神社に分霊せしものと伝えられる。現在の社殿は享保五年(1720)の建築と 言われる。
出雲系の海人族が祀ったと推定されている。 徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1 玄松子の記憶

意富門麻比賣神社[オフトマ]
宅宮神社[えのみや]「大苫邊尊 配 大年大神、稚武彦命」
宅宮神社略記
当社は、もと意富門麻比売(おおとまひめ)神社として奉称された。国司崇敬の延喜 式内神社にして、藩政時代にも蜂須賀公の崇敬篤く、阿波、淡路両国への配札御免宿 船渡の御三判を御下付給わり、両国一円に御神符を配札していた。戦国時代に兵火に 災い、社殿を消失したが、兵乱鎮まりて後、神林地に再建し、祭神大苫邊尊が家宅の 祖神であることから宅宮神社と改称された。
主祭神は天神五代の大苫邊尊であり全国で一座のみ当社に御鎮座され、家屋の守護神 として古くより家相、方位、新築、増改築、土地造成、鬼門ぎり等の諸祈願やお祓は 広く県内外に知られる。
寛保元年三月、吉田殿の命により稚武彦命を勧請した。
尚、当神社には神代文字による祓詞を彫造した古版木のほか第十四代藩主蜂須賀茂韶 公の揮毫による御神名額を今に保存する由緒の古社である。
徳島県徳島市上八万町上中筋558 玄松子の記憶


勝浦郡[カツラ]:8座並小

勝占神社[カツラ]
勝占神社[かつら]「大己貴命 配 事代主命、須勢理姫命、少名彦命、玉櫛姫命、大山祇命」素盞嗚尊を主祭神とする説もある。徳島県徳島市勝占町字中山26 義経の道 玄松子の記憶

事代主神社[コトシロヌシ]
生夷神社[いくい]「事代主命」徳島県勝浦郡勝浦町沼江田中71 玄松子の記憶

山方比古神社[ヤマカタ・・]
山方比古神社[やまがたひこ]「金山比古神」徳島県徳島市多家良町立岩41 玄松子の記憶
立岩神社[やまがたひこ]「天津麻羅」徳島県徳島市多家良町立岩 玄松子の記憶

宇母理比古神社[ウモリ・・]
宇母理比古神社[うもりひこ]「鵜鷲守神」徳島県徳島市八多町森時41 玄松子の記憶

阿佐多知比古神社[アサタチ・・]
朝立彦神社[あさだちひこ]「豐玉毘古命、豐玉姫命」徳島県徳島市飯谷町字小竹101 玄松子の記憶

速雨神社[ハヤアメ]
速雨神社[はやさめ]「豐玉比女神」徳島県徳島市八多町板東91 玄松子の記憶

御縣神社[ミアカタ]
豊国神社摂社地神社「地神五柱神」徳島県小松島市中郷字豊ノ本4 玄松子の記憶

建嶋女祖命神社[タケシマ]
建嶋女祖命神社[たつしまめおやのみこ]「建嶋女祖命 合 應神天皇」徳島県小松島市中田町字広見42 玄松子の記憶


那賀郡[ナカ]:7座並小

和耶神社[ワヤ]
羽浦神社に合祀[はうら]「譽田別命、足仲彦命、氣長足姫命 配 綿津見命 合 淡夜別命、大穴牟遲命、國常立命、少彦名命、彌都波能賣命、和奈佐毘古命、和奈佐毘賣命 ほか」式内社和那神社の御祭神は諸厄・諸災難除の守護神。 徳島県那賀郡羽ノ浦町中庄千田池32 玄松子の記憶

宇奈爲神社[ウナヰ]
宇奈爲神社[うない]「豐玉彦命、豐玉姫命、玉依姫命」
由緒                                    
延喜式小社で宇奈為神社十二社権現と公称し、那賀山分一の旧社なり。藤原氏の末華 、紀伊国豪方湯浅権守俊明なる者来たり。仁宇庄を領するに降し、熊野十二社権現を 本社に勧請、其の後乾元年間山伏不動院性金当社に住し、熊野十二社権現を主として 奉祀するようになった。因って宇奈為神社より熊野宮祠の諸殿は構造今に宏壮である 。天正10年長曽我部元親の兵火に遭い焼失したと伝えられる。再度嘉永年間火災に 罹ったが現在の社殿は安政3年の建造である。明治5年郷社に列す、宝治2年の銘の ある鰐口をはじめ神鏡(鎌倉時代)宝剣などを社宝として伝えられる。
徳島県那賀郡木沢村大字木頭字内の瀬1 玄松子の記憶

和奈佐意富曾神社[ワナサイフソ]
和奈佐意富曾神社「?」
由緒                                    
鎮祭年月日不詳。初め靹浦大宮(那佐浦とも云う)に鎮座。慶長9年(1605)5 月、大里松原に移す。第2代徳島藩主蜂須賀至鎮、しばしば修復の料を献ず。宵宮、 例祭には関船2台、壇後5台が神賑として、白砂青松の大里松原をねる。又流鏑馬神 事があり、豊年豊漁を祈願する。1月15日未明、筒粥神事があり、その年の早稲、 中稲、晩稲の吉凶を占う。1月15日、旧6月15日、10月15日には靹浦当家祭 がある。近年、八幡神社から分祠。
土佐の物部氏の勢力がこの地に及んでいた。祭神の天照皇大神は天照の日神と見られる饒速日命との混同との三方がある。 徳島県海部郡海南町大里松原1 玄松子の記憶

室比賣神社[ムロヒメ]
室比賣神社[むろひめ]「木花開耶姫命」徳島県阿南市新野町人田136 玄松子の記憶
阿津神社[あづ]「木花開耶姫命」徳島県海部郡海南町相川阿津1 玄松子の記憶

建比賣神社[タケヒメ]
正八幡神社境内外末社小烏神社[こがらす]「建比賣命」徳島県阿南市宝田町郡17 玄松子の記憶

八桙神社[ヤホコ]
八桙神社[やほこ]「大己貴命」
由緒                                    
1、八桙神社は上古長ノ国造の祖先神として竹原庄要津に鎮座す。長ノ国は北方粟ノ 国と相対して阿波民族の源を形成す。
1、承平4年朱雀天皇の御宇歌聖紀貫之土佐守の任満ちて上洛の途上南海水道にさし かかりし時豪勢なる海賊に逢い航行不能となる直ちに那賀川河口に碇泊西潟なる竹原 庄の要津に松JU栢城高く聳へ立ち威光海上を圧する八桙大明神に祈願奉幣す。忽ち「 霊験早印下之泥」海上無恙上洛せりとあり。
1、長寛元年9月25日関白左大臣左大将正二位藤原基実卿後白河上皇の勅命を承け 法華八講料として免租水田五段と紺紙金泥法華経一部八巻合せて五種十二巻を奉納し この善根に依り後白河上皇二条帝の宝祚を寿命長遠に併せて二品家一門の神徳冥助を 乞い並びに南海水道の海上安全を祈願す。 文化財
1、祭神・大己貴命(木造彫刻立像・壱躯)。少名彦命(木造彫刻立像・壱躯)
1、二品家政所下文附紺紙金泥法華経一部八巻
古文書明治43年右神像明治44年国宝指定、昭和25年国宝重要文化財に指定同3 0年県重要文化財男神木像彫刻九躯その他木桙神像古銭等宝物多数あり。
昭和42年丁未11月八桙神社文化財保存会
(注)文中のUは、「土」偏に「需」です。                  
長ノ国造の祖先神。長ノ国は北方粟ノ国と相対して阿波民族の源を形成す。 徳島県阿南市長生町宮内463 玄松子の記憶

賀志波比賣神社[カシハヒメ]
津峯神社[つのみね]「賀志波比賣命、大山祇命」
由緒                                    
黄塵の巷を離れ、雲表はるかそびゆる阿南霊峰の頂上に弥高く鎭まります、延喜式内 社(賀志波比売神社)津峯神社は、人皇第45代聖武天皇の御宇、神亀元年、神詫に よって國家の鎭護、民族長寿延命の守護神として賀志波比売大神を御本社に、開運招 福、海上安全の守護神として恵比須大神、大國主大神を境内社に奉斎し、國主、領主 の尊崇頗る篤く、殊に阿淡の藩主蜂須賀家歴代の家運長久を祈願せられ、爾来県内外 の庶民開運招福、生命の守護神として、ことのほか信仰し、更に主神、賀志波比売大 神は延命長寿を司り1日に1人の生命をお助け下さるとの御神徳、また恵比須大神は 、福の神として阿波七福神めぐりの社寺に加わり、この霊域に参詣する全國各地の崇 敬者が四季絶えることがない。室戸阿南海岸國定公園の当津峯山は本州の東南に屹立 して衆山の崇とも言うべく、遠くは紀の和歌の浦、淡路、鳴門、近くは小松島、橘湾 等、雲霞縹渺の間に展望することができ、俯瞰すれば紺碧の海面を、或は飛鳥の如く 、或は漂葉の如く去来する機船、漁舟の妙様筆紙に尽しがたく、海底の旭日、西山の 夕陽、その景、阿波八景随一の名にはじず、陸前の松島に似て勝るとも劣らぬ絶景で ある。
赫赫たる神徳、風光の美をかね実に天下の勝地であり、今や阪神、和歌山、香川、高 知県をはじめ、全國各地に崇敬者を有し、篤信の徒、観光の客、この霊域に賽する者 年間50万人を超えている。
天正年間、阿土合戰の戰火に罹災するも藩政時代には國主蜂須賀阿波守の崇敬あつく 、家老賀島家歴代の家例として正月3日諸臣を従え、参詣され、近くは大正9年5月 2日蜂須賀正韶侯爵、昭和2年6月12日伏見宮博義王殿下がそれぞれ参拝せられ月 桂樹の記念植樹をされている。
津峯山の中腹(駐車場より通路あり)には昔、神社に参詣する潔斎場であった神明の 岩窟、縁結びが叶えられるという結びの岩窟、鏡の岩窟、巾着の岩窟などがあり、当 社と縁の深い岩窟群で探勝の人が多い。
徳島県阿南市津乃峯町東分343 玄松子の記憶
賀志波比賣神社[つのみね]「賀志波比賣命」徳島県阿南市見能林町柏野22 玄松子の記憶

H24.1.21
延喜式神名帳目次


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