春日神社
徳島市眉山町大滝山1 mapfan

鳥居


交通案内
徳島駅 西800m


祭神
武甕槌命 合祀 齋主命、天兒屋根命、比賣命
摂社 豊玉姫神社、秋葉神社、若宮神社 ほか

社殿


由緒

 天正十四年(1586)藩主蜂須賀家政公が、徳島城築城とともに城下の鎮守として、名東郡田宮村(一説には名西郡入田村)より現地に奉遷したと伝える。
 社頭掲示板では、慶長年間(1596〜)に名西郡入田村より神霊を奉遷したとある。
 市中五社の一。

本殿


お姿
 大滝山は眉山の一角になる。
 夫婦杉の切り株が置かれている。落雷を受けたものだが、社殿造営の際に、材木として活用したとのこと。現在の神木はナギの木であるが、まだ余り大きくはなさそう。
 石段を登れば、左側に豊玉姫神社が置かれている。ここに興味深い説明文が書かれている。

 豊玉姫神社の御祭神は天石門別豊玉姫であります。此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの頁を費やし、種々の寓話を述べられている大女王です。それにまた神武天皇の出生に連る山彦、海彦をも記しています。わが国天皇家生の歴史はこの海人族の大女王を無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現・脇町)の住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国など称され、発言を封じられていた阿波国ですが事実の前にはさからえなかったのです。醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。日孁命と同様、天岩戸別豊玉比売が「古事記」海幸彦、山幸彦の物語中に出てくる龍王宮の宮殿跡を社地として祀られています。
 我が国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王の神名に天石門別と延喜式で記されています。はるか太古、神々の物語時代(高天ヶ原時代)から天石門の外界に現れたの意味で、この神より後人皇の歴史となってきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが日孁命、豊日孁命であることが歴然としています。

 邪馬台国阿波説があり、この地の人々が資料を探し出し、推論をされているようです。日孁命、豊日孁命、これが卑弥呼と台与であってほしいようです。

豊玉姫神社


お祭り

  4月 17日 春季例祭
 10月 16日 例大祭

『平成祭礼データ』(平成七年)から

 春日神社御祭神は武甕槌命(タケミカズチノミコト)斎主命(イハイヌシノミコト)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)比売神(ヒメカミ)の四柱で奈良春日大社と同一の神々で天孫降臨の砌大功を建てられた武甕槌命、斎主命は常陸国鹿島大社に祭られて居ります。

 叉天児屋根命、比売神は天の岩戸開に功績の有った神で河内国牧岡大社に祀られております。

 この神々を奈良に都が出来たときに御蓋山の麓に御祀りしたのが今の春日大社で古くは藤原氏の氏神様であります。 この神々が阿波国名東郡入田の里に春日祠として御垂迹され居りましたが慶長年間尾張の蜂須賀家政公が播州竜野より藩主として阿波へ入国渭の津に城を築きて城府の守護神として大滝山東麓現在地御迎え申し上げ御祀りし田宮の里在った鹿苑寺勝福寺(叉は正福寺通称春日寺)を之に移し管理せしめて祭祀料として毎歳玄米十二石を寄進しました。

 歴代藩主藩民の崇敬浅からず降者明治始改革により県社に列せられました。

 各歳十月十七日の例祭日には幣帛供進使が県より参向れられて地区の、内町新町の氏神として周辺眉山公園と共に四時杖を引く者絶へざる県下きっての名社でありましたが昭和二十年七月三日夜の戦災により社殿烏有に帰し幾年間地区氏子の間に再建の議起こり元の位置に本殿(昭和二十六年十月十五日竣工)拝殿(昭和三十四年十月十七日竣工)が完成を見るにいたりました。
以上

 『徳島県神社誌』、『平成祭礼CD』

神奈備神社一覧 西日本

神奈備にようこそ