『平成祭礼データ』(平成七年)から
津峯神社 由緒
黄塵の巷を離れ、雲表はるかそびゆる阿南霊峰の頂上に弥高く鎭まります、延喜式内社(賀志波比売神社)津峯神社は、人皇第45代聖武天皇の御宇、神亀元年、神詫によって國家の鎭護、民族長寿延命の守護神として賀志波比売大神を御本社に、開運招福、海上安全の守護神として恵比須大神、大國主大神を境内社に奉斎し、國主、領主の尊崇頗る篤く、殊に阿淡の藩主蜂須賀家歴代の家運長久を祈願せられ、爾来県内外の庶民開運招福、生命の守護神として、ことのほか信仰し、更に主神、賀志波比売大神は延命長寿を司り1日に1人の生命をお助け下さるとの御神徳、また恵比須大神は、福の神として阿波七福神めぐりの社寺に加わり、この霊域に参詣する全國各地の崇敬者が四季絶えることがない。室戸阿南海岸國定公園の当津峯山は本州の東南に屹立して衆山の崇とも言うべく、遠くは紀の和歌の浦、淡路、鳴門、近くは小松島、橘湾等、雲霞縹渺の間に展望することができ、俯瞰すれば紺碧の海面を、或は飛鳥の如く、或は漂葉の如く去来する機船、漁舟の妙様筆紙に尽しがたく、海底の旭日、西山の夕陽、その景、阿波八景随一の名にはじず、陸前の松島に似て勝るとも劣らぬ絶景である。
赫赫たる神徳、風光の美をかね実に天下の勝地であり、今や阪神、和歌山、香川、高知県をはじめ、全國各地に崇敬者を有し、篤信の徒、観光の客、この霊域に賽する者年間50万人を超えている。
天正年間、阿土合戰の戰火に罹災するも藩政時代には國主蜂須賀阿波守の崇敬あつく、家老賀島家歴代の家例として正月3日諸臣を従え、参詣され、近くは大正9年5月2日蜂須賀正韶侯爵、昭和2年6月12日伏見宮博義王殿下がそれぞれ参拝せられ月桂樹の記念植樹をされている。
津峯山の中腹(駐車場より通路あり)には昔、神社に参詣する潔斎場であった神明の岩窟、縁結びが叶えられるという結びの岩窟、鏡の岩窟、巾着の岩窟などがあり、当社と縁の深い岩窟群で探勝の人が多い。
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