石上神社
兵庫県淡路市北淡町舟木514 ゼンリン

祠と磐座


交通案内
バス梨本より徒歩30分 公民館から更に山の方に登ると案内板

祭神
素盞嗚尊


由緒

 やはり太陽の道と云うことで人気が出てきた神社。
 それよりは、古代氏族の舟木氏の居住地を思わせる地名を持つ地域。
 加えて古代日神祭祀の磐座信仰の名残。
 『住吉大社神代記』には、「大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは船木の遠つ神、大田田神なり。」とあり、船木遠祖の大田田神が太陽神を乗せる舟を二艘造ったとある。船木氏とのかかわりは濃厚のようだ。
 武内宿彌が祀った船は住吉大社の祭祀を司った船木氏が作ったと云われ、住吉大社摂社となっている船玉神社や紀伊三所神と云われる、伊達、志摩、静火の三神社の創建にかかわって来る。海人族としての船木氏は淡路、摂津、紀伊、伊勢と足跡を残している。

祠の背後の環状列石?

 船木氏の本貫の地は伊勢国佐那県で、三重県多気郡多気町仁田に佐那神社が鎮座、祭神は天手力男命。この神は天岩戸から天照大神を導き出した神として著名で、やはり日の神を運んでいる。勿論御船代で運んだと見るべき。
 船木氏は『住吉大社神代記』に記されている丹生川上に天手力男意気続々流住吉大神を紀の国に鎮め祀ったようで、後に播磨国へ移住しているようだ。

磐座と祠

 淡路島は野島海人など、海人族の跋扈した土地であり、ここに恐らくは日神を祭る磐座祭祀の場が設けられていたのは、単に信仰上の意味を越えるものがありそうだ。
 河内王朝の創建にかかわる船木氏、また河内王朝の天皇はたびたび淡路に遊び、また水などを運ばせている。瑞歯別(反正)天皇は淡路島を誕生の地とする。

 河内王朝には海人族の雄である安曇氏の協力があった。大鷦鷯(仁徳)天皇の次の天皇は住吉中皇子が予定されていた所、去来穂別(履中)天皇に簒奪されたようだ。安曇連浜子は淡路から来ていた野島海人(漁師)を使って去来穂別をとらえようとして失敗している。それ以降でも淡路島に遊んでいる。


お姿
 舟木集落で公民館を発見、近くにいた方に少し登ると標識があると教えてくれて難なく行くことができた。
 大きい石の周辺に幾分か人工の痕跡があるとのこと。 日神の祭祀に『日を迎える座」と「日を追う座」があり、朝日似向かって祭事を行う日を迎える祭事は男が司ることが、女人禁制の謂われと云う。

 南紀の潮岬神社に磐座があるのだが、形は違うのだが、祀られ方、たたずまい、同じ系統の人々によって祀られたような気がするが、根拠はない。

稲荷神社


稲荷神社の方から磐座を眺める。女人の参詣方法だったそうだ。


お祭り
  3月18日 例祭

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