出羽國:9座 大2小7



飽海郡[アクミ]:3座大2小1

大物忌神社[オホモノイミ](名神大) 
大物忌神社[おおものいみ] 鳥海山頂の鳥海山大物忌神社 「大物忌大神、月山神」景行天皇御代もしくは欽明天皇25年鳥海山上に鎮座。出羽國一の宮。
由緒
欽明天皇25年(1400余年前)鳥海山上に鎮座され貞観4年官社に列し国家の祀 典に預り延喜の制には吹浦に鎮座し給ふ月山神社と共に名神大社に班し後出羽国一宮 としてその撰に預り朝野の尊信を享けてきた。
特に歴代天皇の崇敬篤く八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や 庄内藩主の社殿の造修等代々の武将にも篤く崇敬されてきた。
中世神仏混合以来鳥海山大権現として社僧の奉仕するところになったが、明治3年神 仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり同4年国幣中社に定められた。
昭和30年鳥海山大物忌神社と改称鳥海山の御本殿は伊勢と同じく20年毎に建て替 える式年造営の制になっている。現在の御本殿は昭和52年に造営のものである。
山形県飽海郡吹浦村大字吹浦字鳥海山1 玄松子の記憶
鳥海山大物忌神社吹浦口之宮「大物忌大神、月山神」山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字布倉1 玄松子の記憶
鳥海山大物忌神社蕨岡口之宮「大物忌大神、月山神」山形県飽海郡遊佐町大字上蕨岡字松ヶ岡51 玄松子の記憶


小物忌神社[オモノイミ]
小物忌神社[おものいみ]「級長津彦命、級長津姫命、豐受比賣命」山形県飽海郡平田町大字山楯字三之宮48 玄松子の記憶

月山神社[ツキヤマ](名神大)
月山神社[つきやま] 出羽神社 湯殿山神社 「(月山神社)月讀命、(出羽神社)月讀命、伊波神、稻倉魂命、大己貴命、少彦名命、大山祇命 (湯殿山神社)大己貴命、少彦名命、大山祇命」
信仰の山・精霊の山・修験の山―国立公園・出羽三山
涼しさやほの三か月の羽黒山、雲の峰幾つ崩て月の山、語られぬ湯殿にぬらす袂かな、有難や雪をかほらす南谷・松尾芭蕉『おくのほそ道』其玉や羽黒にかへす法の月・芭蕉、元禄二年(一六八九)盛夏出羽三山登拝の折認める「天宥別当追悼句文」日本人の源郷(げんきょう)・出羽三山は、千四百有余年の歴史と伝統をもつ我が国有数の信仰のお山であり「羽黒派古修験道(はぐろはこしゅげんどう)」の道場です。
出羽三山とは−出羽国(でわのくに)(山形県など)にある月山(標高一九八四b)、湯殿山(同一五〇四b)、羽黒山(同四一四b)の三つのお山の総称で、三の数字は古来“聖数”とされ全国にその例は数多(あまた)あります。
出羽三山神社(でわさんやまじんじゃ)とは−月山頂上に月山神社、羽黒山頂に出羽(いでは)神社、湯殿山の中腹に湯殿山神社が夫々鎮座(ちんざ)されていますが、三つの神社を合わせて通称「出羽三山神社」といっています。また、月山神社と湯殿山神社は冬季の参拝が無理であることから羽黒山の出羽神社に三神を合祭し「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)」と称し、恒例の祭典は三神社同時に合祭殿で行われます。
三山神社の御祭神は−月山神社は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御弟神であられる月読命(月読みの命)、出羽神社は出羽国の国魂(くにたま)であります伊波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、湯殿山神社は大山祇命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくな ひこなのみこと)を祀っています。他に広大な神社境内には、百一末社(まっしゃ)と総称される神々の社(やしろ)があって八百万(やおよろず)の神々が祀られています。
御開山の年と御開祖は−今を去る千四百余年前の推古天皇元年(五九三)に、第三十二代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が、奈良の都からはるばる日本海を北上しこの地においでになり三本足の霊烏(れうう)の導きにより羽黒山を御開山され、次いで月山と湯殿山を開かれました。当社では蜂子皇子を「御開祖」と敬仰(けいぎょう)し、平成五年(一九九三)が開山の年から数えて千四百年に当ることから盛大に「御開山一、四〇〇年祭」を執り行い、年間を通してさまざまな奉祝記念行事や事業を行いました。
出羽三山神社の歴史と信仰は−御開山千四百余年、という類稀(たぐいまれ)な永い歴史と伝統をもつお山だけに時代によりさまざまな変遷がありました。そもそも出羽三山神社は自然崇拝、山岳信仰の“古神道”から発した神社ですが、平安時代の初め仏教の強い影響を受けて「神仏習合(しゅうごう)」し、明治維新の「神仏分離(しんぶつぶんり)・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」まで真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕され鎌倉時代には「八宗兼学(はっしゅうけんがく)のやま」とも称されました。 その為出羽三山信仰は他に例を見ない“多様にして限りなく深い信仰世界”を今に育(はぐく)み、「東(ひがし)三十三ケ国総鎮護」として篤く尊崇(そんすう)されています。
山形県東田川郡羽黒町手向字手向7 神社公式

田川郡[タカハ]:3座並小

遠賀神社[オカ]
遠賀神社[おが]「豐受大神、鳴雷神、高神、和久産巣日神、大山祇神、猿田彦大神」往古、伊波手と言う所に鎮座。山形県鶴岡市大字井岡字和田181-1 玄松子の記憶
遠賀神社「倉稻魂命」山形県鶴岡市大字遠賀原字高間々8 玄松子の記憶
遠賀神社「大山祇尊、倉魂命、土祖神、手力雄命」山形県鶴岡市大字外内島字明神川原1 玄松子の記憶

由豆佐賣神社[ユツサヒメ]
由豆佐賣神社[ゆづさひめ]「溝咋姫命、大己貴命、少彦名命」創建は白雉元年(六九五)三月と伝わる。
鎮座地  鶴岡市湯田川字岩清水八六
祭神   溝kui姫命 大己貴命 少彦名命 
境内神社 興喜天神社(天満宮) 古峯神社 稲荷神社 諏訪神社
祭日   例祭 五月一日、祈年祭 三月十三日、新嘗祭 十一月二十三日、温泉清 浄祭 七月土用丑の日
社殿   本殿 一・八坪、幣殿 二・五坪、拝殿 六四坪、手水舍 一・二坪
主要建物 社務所 一一・二坪
工作物  鳥居石造一基、燈籠石像一対、歌碑一基
境内地  三、八六三坪
氏子数  二六〇世帯

由緒
 当神社は、湯田川温泉のほぼ中央にある源湯、正面の湯の真向かいの、集 落を見下ろす石段を登った高台に鎮座。創建は白雉元年(六九五)三月十七日と伝える。

延喜式内社で「延喜式」神名帳にみえる田川郡三座のうちの由豆佐賣神社に比定され る。「三大実録」仁和元年(八八五)十一月に十五日条によれば、同年六月二十一日 出羽国秋田城中と飽海郡神宮寺西浜(現同郡遊佐町)に石鏃が降り、凶狄陰謀兵乱の 前触れと占われ、これに対し神祇官から、この凶兆は「田川郡由豆佐乃売」など三神 を崇敬しなかったためであると奏上があり、三神を厚く祀るようにとの命令が出され ている。神仏混淆していた中古の昔には、観音堂と称されて十一面観音を祀っていた と伝えられる。近年には湯蔵権現、また龍蔵権現とよばれていた(出羽国風土略記) 温泉鎮護の神とされ、庄内六座の一といわれた(天保三年木版刷羽州庄内田川温泉図付温泉の記)。別当は南隣の 大日山妙幢院長福寺が務めた。慶長十七年(一六一二)最上義光から大日領として田 川湯村一五五石余の黒印状一九通が与えられ、神子分として四余が含まれる(延宝九 年庄内寺社領高付帳)。「出羽国風土略記」には「龍蔵権現十ヵ年前迄は三間四面の 社作にして物寂なるけしきに見つけるに近年の長福寺住職是を建替社作にもあらず表 裏格子にして神輿やとうけ見るがごとし神壇も見えず」と記される。

現在の社殿は、安永年間(一七七二〜八一)の造営といい、観音堂の形式をもつ。例 祭は三月十七日であったが、(前掲温泉図付温泉の記)、現在は五月一日に行われて いる。また四月九日から十二日までの四日間にわたり例祭前の氏子廻りとして、祓の 行事を行っている。道化神楽ともいわれる滑稽な仕草の湯田川神楽、素人の即興的に 演ずる滑稽さで知られた湯田川の俄踊も例祭に奉納の神事として伝承されたもので、 俄踊は大正初期に廃絶した。神木の樹光三〇メートルの大銀杏は乳イチョウと呼ばれ 県指定天然記念物となっている。樹齢一千年といわれて、宝永二年(一七〇五)の「 大概往来」(鶴岡市郷土資料館蔵)に「出羽一国の銀杏の大木あり」と記されている。

明治九年(一八七六)郷社に列せられ、同四十年月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
山形県鶴岡市大字湯田川字岩清水86> 玄松子の記憶

波神社[イテハ]
出羽神社[でわ](三神合祭殿)「月讀命、伊波神、稻倉魂命、大己貴命、少彦名命、大山祇命」山形県東田川郡羽黒町大字手向字羽黒山33 玄松子の記憶

平鹿郡[ヒラカ]:2座並小

鹽湯彦神社[シホユヒコ]
塩湯彦神社[しおゆひこ]「速玉尊、大山祇命」秋田県平鹿郡山内村大満川字御嶽山3 玄松子の記憶

波宇志別神社[ハウシワケ]
保呂羽山波宇志別神社[ほろわさんはうしわけ]「安閑天皇」天平宝宇元年大和國吉野の金峯山より奉遷。秋田県平鹿郡大森町八沢木字保呂羽山1-1 玄松子の記憶


山本郡[ヤマモト]:1座小

副川神社[ソヒカハ]
副川神社[そえがわ]「天照大御神、豐受大神、素盞嗚大神」秋田県秋田郡八郎潟町浦大町字小坂45 玄松子の記憶
八幡神社「保牟多和氣命、加句槌命」秋田県仙北郡神岡町神宮寺字神宮寺19-1 玄松子の記憶
嶽六所神社[だけろくしょ]「大田命、興玉命、句々土神、大山祇命、磐戸命、鹽槌翁」秋田県仙北郡神岡町神宮寺字落貝7
添川神明社「天照皇大神、豐受姫大神、鹿嶋大神、杉皇大神、熊野大神、那智瀧大神」秋田県秋田市添川字古城廻り51 玄松子の記憶


H24.1.20

延喜式神名帳目次

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