岩屋神社
兵庫県明石市材木町8-10 its-mo

鳥居

交通

山陽電鉄明石駅 南700m



祭神

伊弉諾尊、伊弉册尊、大日靈尊、月讀尊、蛭子尊、素盞嗚尊
摂社
弓洲恵神社、随神社 等


拝殿


由緒

 延喜式神名帳の播磨国明石郡の伊和都比賣神社の論社の一。
 淡路島の岩屋神社を勧請したと伝わるが、その年代は不詳だが、成務天皇十三年とも言う。古くは両部神道であったらしく、天正三年(1575)6月、炎天のため明石越前守が太山寺等五ヶ寺に命じて大明石の岩屋神社で雨乞いを行わせ、たちまち洪水となったと言う。


本殿



お姿 

 明石市は昭和二十年七月、敵米軍の焼夷弾空襲によって本殿以下全焼したが、漸次再建された。
 南面して鎮座、すなわち淡路島に対している。本殿の北300mには西国街道が東西に通じる。当社付近を大明石村と言い、それが市名の起源となった。



お祭り 

   7月 第3日曜日 夏季大祭 [神事名]オジャタカ舟神事
 10月 第二日曜日 例大祭

 境内掲示板 オジャタカ舟神事(明石市指定無形文化財)
 淡路岩屋より御遷なりし当時を偲ぶためそれ以後連綿として行われている神事で夏大祭に行われている。成務天皇の勅命により当浜の名主(六人衆という)が新船を造り一族郎党を引き連れ淡路に渡り御皇神を船に遷し奉り帰路に着いた所途中八百潮早く波風高く船を当浜に着けることが出来ず西の方林崎前の赤石(明石の起源)の所で一夜の泊まりをなしその時神前に御供へしたのが現在も特殊神餞として伝わっている。(現在も宵宮の朝松江海岸にて行われている)朝旦に至って波風邪もおさまり今の地に鎮座されたのである。行事の内容は明石浦の業業青年達は一艘の船に五名約三十名が選出され神船に神々を奉鎮し立泳しつつ頭上高く持ち上げ「オジャタカー」(よくおいで下さいました)と唱へつつ前方に押し進め御渡式を行う。往時は岩屋まで行われしが近年は松江海岸(赤石)まで行われる。旧暦六月十五日に行われていたが、近年は七月第三日曜日に行われる。

 

平成祭礼データ

 成務天皇十三年六月十五日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される。
  以上

平成祭礼データCD、式内社調査報告二十二巻

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