神出神社
神戸市西区神出町東 雌岡山its-mo


交通

神鉄粟生線 緑が丘 東 2.5km



祭神

素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命

摂社
天神社「国常立命、国狭槌命、豊斟淳尊、沙土煮尊、泥土煮尊、大戸道尊、大戸邊尊、面足尊、煌根命、伊弉諾命、伊弉册命
地祇神社「大日貴命」


西側の一の鳥居(香具さんご提供)


二の鳥居



由緒

  この地に二つの山があり、俗に雄岡山(雄子尾)、雌岡山(雌子尾)と言う。 雌岡山頂に鎮座する神出神社は雌岡山牛頭天王とも呼ばれ、山は天王山とも呼ばれる。
 社伝による神社創建の由緒は、神出と言うのは素盞嗚尊、奇稲田姫命がここに降臨遇会し、御子の大己貴命を生んだと伝わっていた。素盞嗚尊、奇稲田姫命両神は薬草を採取し住民の病苦を救い、禁厭(まじない)を教えて災厄を祓い農耕を指導奨励して生活を安定を図るなどの神徳が人々の記憶に深く残った。

 所で神の誕生生成をして「神が出る」と謂う表現はあるのだろうか。 普通は上賀茂神社の「みあれ神事」の「あれ」、則ち顕れるとするのではなかろうか。 出雲に神々が集結してお帰りになる際に「神去出」の祭が行われるように、神が去って行く時の言葉ではなかろうか。

 平城天皇諸国を巡幸の際此の地に駕を枉げ神代の舊事を偲び先の諸神を勧請し、山にある石を彦石姫石と名付けたと言う。
 平城天皇は桓武天皇の皇子で、大同元年(806年)即位、全国に観察使を派遣・地方の実状を調査・官司の統廃合・緊縮財政に努め、この時代の行政改革を行ったが、大同四年(809年)病をえて嵯峨天皇に譲位。



風景 

 山の登り口に平成四年に新築された大鳥居が白い。これをくぐって登りにかかる。道路際の土はやや赤く見える。この辺の土はどちらかと言えば白いと言うか灰色が目立つが、この山は趣が違うようだ。 舗装された道から裸石神社方面の道標があり、右の無舗装の道にはいる。はっきりと赤土の道。 この赤土は水銀朱を含む丹土か鉄分なのか不明であるが、出雲や紀北に見るほどの濃密ではなさそうだ。 西に茶山(ちゃやま)があり、かっては愛宕神社や大年神社が鎮座していたが、神出神社に合祀されて小祠となっていると言う。
 御旅所が見えてくる。この山には古墳が多いそうで、ここも円墳の様にも見えるが経塚とも言われている。中央に大きい石が幾つか置かれており、磐座を形成したつもりだろうか。 この山の南側からは多くの須恵器の破片が出土している。窯跡もある。

 ここから再び舗装道を進むと、左側に裸石姫石神社と書いた標識が見える。山道をやや下りつつ数百メートル歩くとなにやら怪しげな雰囲気が漂う。なにせ「裸と姫」の名を持つ神社があると言う。

 裸石神社と姫石神社の間の石段を登ると神出神社に到着する。

お旅所(にい塚)

社殿



お祭り 

  春祭  2月23日  
  例大祭  10月 9日
  秋祭   11月25日



裸石神社

雄岡神社

兵庫県神社誌(昭和十三年)、神戸市の神社(神戸新聞社)

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