兵庫県姫路市白国5-15-1 its-mo 神門
交通 JR播但線野里駅下車 北西2000m
景行天皇の皇子稲背入彦命が大和から播磨へ下向、この白国の地に宮殿を構え、統治をした。その孫の阿曽武命の妃高富媛が出産時、大いに苦しんだ。命は倉谷山の峰に白幣を立てて神吾田津比賣(木花咲耶媛)を祀り、安産を祈願した。女神が忽然とあらわれ、汝の祈りは天に通じている。とお告げになり、白幣と共に天高く舞い上がりお隠れになった。
『式内社調査報告』では、応神天皇が当地を巡幸の時、三韓征伐の折りの阿曽武命の軍功を賞してこれをも合祀し「新羅国国主大明神」の神号を与えられ、当社を「日の宮」とも称したと云う。 鳥居と拝殿 本殿と背後の岩壁
北側には広峰山、増位山が続き、南方の弁天池周辺には奈良時代に栄えた寺院跡が残り、また西方には古墳と、奈良時代にはかなり開発の進んだ地域であったようだ。 『播磨国風土記』飾磨の郡に「新良訓とよぶわけは、昔、新羅の国の人が来朝した時、この村に宿った。だから新良訓とよぶ。」とある。
摂社 厄除八幡神社と山森大明神(手前)
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