住吉神社
兵庫県明石市魚住町中尾1031 mapfan


鳥居

交通

山陽電鉄魚住駅 南300m.



祭神

底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命


神門 江戸時代初期の建物


由緒

 神功皇后の新羅国親征の折り、播磨灘にて暴風に遭い、当地に避難し、神籬をたてて、住吉大神に平穏を祈願した、波風たちまちにしておさまり、軍はつつがなきを得たと伝えられている。又その時に皇后の着衣を松の枝に掛けて干したのが、風にたなびいて、錦のように美しく見えた。当地を「錦ケ浦」と名付けたと言われている。


神門の中の狛犬
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 凱旋後、神功皇后により摂津の国住吉の地に住吉大神は鎮祭された。
 『住吉大社神代記』によれば、「吾が居住はむと欲りする処は、播磨の国に渡り住はむ」と、お告げを出された。そこで大藤を切って海に浮かべ神意を伺ふと「この藤の枝の流れ着く処に、我を鎮祀れ」とご託宣なされた。藤は当地方魚次浜に流れ着いた。
 雄略天皇の八年、此の地に勧請してお祀りしたのが当社。

 住吉大神が紀の国の藤代の峰から当地に遷ったことを、高野山の東の山中で金属を採取していた船木氏が当地に移ってきたと、『古代の鉄と神』のなかで、真弓常忠氏は解釈されている。


拝殿



お姿 

 海岸に面して立地、いかにも海の神らしい。
 松林がつづく住吉公園の一画に堂々と鎮座している。
 本殿真後ろに藤の巨木が植えられており、大藤の流れついた由緒を紹介している。「藤」は金属採取の象徴の字で、鉱山師の名に「藤」がつくのが多いと、『青銅の神の足跡』で谷川健一氏が述べている。


本殿



お祭り 

 10月 最終日曜日 例祭

平成祭礼データ

 神功皇后は新羅国ご遠征に当って、住吉大神の御加護を得て、大いに国威を輝かされましたが、そのご親征の時、播磨灘で暴風に遭われ、当地に上陸ご滞泊になり、神籬をたてて、住吉大神に平穏を祈願されたところ、波風たちまちおさまり、御軍はつつがなきを得られたと伝えられております。又その時に皇后の着衣を、松の枝に掛けて干されたのが、風にたなびいて錦のように美しく見えたので、当地を「錦ケ浦」と名付けられたと云われております。
 神功皇后によって、摂津の国住吉に御鎮祭せられました住吉大明神は「吾が居住はむと欲りする処は、播磨の国に渡り住はむ」と、お告げを出された。
 そこで大藤を切って海に浮かべ神意を伺ふと「この藤の枝の流れ着く処に、我を鎮祀れ」とご託宣なされた。藤は当地方魚次浜に流れ着いた。(住吉大社神代記より)
 この御神慮によって雄略天皇の八年(西暦四六四年)四月初卯日に此の地に勧請してお祀りしたのが当住吉神社であります。
 以後魚住庄(現在の大久保町南部も含む)の総鎮守社として住民に崇敬されてまいりました由緒のある古社であります。

  以上

平成祭礼データCD

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