産泰神社
群馬県前橋市下大屋町569 ゼンリン


鳥居



交通案内
 バス産泰 東に100m



祭神
 木花佐久夜毘賣命、倉稻魂命、豐城入彦命、神倭磐余毘古命、大物主命、菅原道眞、宇氣母智命
 配祀 建御名方命、高皇産靈神、神皇産靈神、天津彦火瓊瓊岐神、伊邪那岐命、伊邪那美命、大山祇命、大己貴命、少彦名命


拝殿



由緒 
 上野国勢多郡。
 履中元年の創建と伝わっている。社頭由緒では「定かではない。」と正直。
 本殿と摂社の金比羅宮の背後に磐座群がある。古い祭祀があったようだ。
 石器が奉安されている。石棒で、長約三尺、周一尺七寸、その形は毛筆の頭、秩父青石の類を以て造られている。

 安産の神として木花佐久夜毘賣命を祭神としている。しかし当地は下大屋町であり、この地名の大屋がポイントではないかと思う。この地域に多い大屋都比売を祀る神社からも推測されるのだが、祭神は大屋都比売命ではなかったか。

 飛騨の荏名神社も祭神が大屋津姫命、「えな」にちなんでか、安産の神となっている。伊勢国安芸郡の式内社の比佐豆知神社も大屋津姫命・抓津姫命が配祀されており、境内には子安観音が鎮座している。


本殿


お姿
 大きい木々に囲まれている。イラカシ、アラカシ、アカカシ、スダジイ、マテバシイ、サカキ、ヤブツバキなどのこの土地本来の樹木を植えて鎮守の森の復元に勤めている。
 本殿背後に磐座がある。古社だったのだろう。
 社殿は綺麗、この地域の神社のは珍しく由緒表示板があった。

 本殿は入母屋妻入。以前は南向きの本殿だったが、前橋藩主酒井氏の尊崇厚く、西向きにして前橋城を守護させた。


磐座群


磐座群



お祭
  秋祭  4月 18日 1日間

産泰神社
この神社の創建は、社伝によれば履中元年とされているが定かではない。 しかし社殿背後に累々としている巨石群から、神社信仰の初現形態の一つである巨石崇拝にその起源があるとみられ、歴史の古さがしのばれる。
 安産を祈る者が、軽くヌケル(生れる)ようにと底をぬいたヒシャクを奉納するようになったのは、江戸時代以降のことで前橋 伊勢崎などをはじめ県下一円の人々から、安産の神として篤い信仰を受けた。
 特に前橋藩主酒井雅楽頭は、社殿の造営をするなどその信仰著しいものがあった。
 酒井氏の造営になった社殿は、多くの彫刻で飾られ、内部格天井には酒井抱一が描いたとされる極彩色の花鳥図もある。
 数ある社宝のうち八稜鏡は、平安時代のもので前橋市の重要文化財に指定されている。
 また四月十八日例祭の際に奉納される太々神楽も重要無形文化財に指定されている。
        以上


神楽殿

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