氷川女体神社
埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1 its-mo

鳥居

交通案内
JR浦和駅 北東4km

祭神
奇稻田姫命
 配祀 三穗津姫命、大己貴命

拝殿は本殿とつながった造 権現造



由緒 

 氷川女体神社は、武蔵国屈指の古社で大宮氷川神社とと もに武蔵国一宮といわれてきた。社伝では、崇神天皇の 時に造営されたと伝えられている。
  大宮の氷川神社(男体社)、大宮市中川の中山神社(簸王子社)とともに見沼と深い関係にあり、祭礼の「御船祭 」は見沼の御上で行われていた。
 「見沼」という地名が良く出てくる。もともとこの地域、つまり大宮氷川神社から氷川女体神社近隣の地 域は水郷地帯と呼んでもよいほどの地帯であり、「見沼」はすなわち「御沼」「神沼」と呼称されて、氷川神社・氷川女 体神社は武蔵野台地と見沼の境目に鎮座していた。古くから「氷川神社」は農業神として信仰を集めており、荒川・多摩川流域には氷川神社と呼称される神社が220社を数えており、この神社と水・農業との関係が深いということがわかる 。
 古代は海がこの辺まで入りこんで、やがて沼になったようだ。見沼に突き出るように古代祭祀場跡が保存され、境内の社叢だけを残されて、あとは見沼氷川公園になっている。見沼は寛永七年(1630)頃に、大宮台地東南部の浸蝕谷を利用して潅漑貯水池にした。さらに徳川吉宗の時代、江戸の人口増に対応して田園開拓をするべく、紀州からよんだ土木家井沢為永に命じ干拓させた。広大な見沼田圃になり、見沼代用水がつくられた。
 埋め立て時、沼の龍神が抵抗したのであろう。さいたま市内にはさまざまな龍神伝説が残っていると云う。また龍神を祀る竜神社が鎮座している。
 享保七年(1727)、三段の閘門を設けた見沼通船掘を完成させた。

本殿 三間社流れ造り 拝殿とつながっている


お姿
 氷川女体神社は見沼に突き出た台地上に位置しており、社叢は自然林の常緑広葉樹を中心に構成されており、境内は暖地性植物の群生地として、いにしえの姿を良く伝えている。明治神宮の社叢の設計に参考にし目標にしたと云う。
 現在の社殿は本殿・幣殿・拝殿を直結した権現造りの形式。本殿は三間社流造りで、全面に朱色が塗られており、寛文七年(1667)に徳川家綱が再興したものであり、拝殿は本殿と同時か、もしくは元禄の修理の時に建てられたものと されている。
 本殿については、内部の調査を行い、一部手直しをしているが、本格的にはこれからである。

見事な社叢と本殿


お祭り


例大祭   10月  8日  前日は宵宮。

『平成祀祭データ』

 由緒

 三室氷川女體神社 浦和市宮本鎮座。当社は崇神天皇の御代に出雲杵築の大社を勧請した古社で、武蔵国一宮として見沼のほとりに鎮座している。主祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穂津姫命を配祀している。当社の御手洗瀬である見沼を囲み大宮氷川神社(男體社)、大宮中川の中山神社(簸王子社)とともに三社深い関係にあり「三室」を伝えてきた。古代、女神を祀ることや社殿が東方に向いているなど、その創立の由緒を偲ばせている。中世以来、武門の崇敬を集めており、これらに所縁のある宝物も多い。徳川家康から拝領五十石を寄せられ、また徳川家綱によって現存する社殿も建てられた。古来からの御船遊神事は見沼干拓後、磐船祭として行なわれ、その遺跡が現存している。また、暖地性植物が繁茂する社叢は、天然記念物であり、故郷の森にも指定されている。
 以上

参考 『平成祭礼データ』、『式内社調査報告』、『日本の神々』

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2014.5.17