羽咋神社
石川県羽咋市川原町エ164 its-mo
鳥居
交通案内
JR七尾線羽咋駅下車西へ10分
祭神
磐衝別命、磐城別王命、弟苅羽田刀弁命
合祀 道反大神
由緒
能登国羽咋郡の式内社。
往古の当地の中心的豪族である羽咋君ゆかりの神社とされている。『古事記』垂仁記によれば、羽咋君の祖は垂仁天皇と山代の大国の淵の女弟刈羽田刀弁との間に生まれた石衝別王であり、これは『新撰姓氏録』にも記されている。また『先代旧事本紀』国造本紀には、雄略天皇の御代に石衝別命の児石城別王が羽咋国造に定められたとある。これにちなんで祭神は上記のようになっている。道反大神はは三俵苅神社の祭神という。
古老の伝として、その昔、当地は高志の北島と呼ばれる未開地で、人々は飢餓と疫病にくり死んでいた上に盗賊もはびこり、更に滝崎の森には怪鳥が住んで害をなしていた。そこで垂仁天皇の勅により石衝別命が当地に下向してこれらを討ち、農事を勧めたので人々の生活は安定した。命が没した際、その霊を祀ったのが神社の始まりと云う。
拝殿
お姿
現在の本殿は大塚古墳後円部の南麓にあるが、大正七年までは墳頂にあった。往古の鎮座地は現社地の南東約200mの八幡神社の場所と見られている。
本殿は三間三面に一間の向拝付きの流造、拝殿は天保三年(1832)の建造で、五間五面の入母屋造、千鳥破風、軒唐破風である。いずれも銅板葺き。
磐衝別命の古墳
お祭り
9月 24日例祭
本殿
平成祭礼データ
磐衝別命、父君垂仁天皇の詔のまにまに羽咋に居を構え、農耕指導を中心に人民を愛撫し給い、その御子磐城別王命羽咋の国造となり、父の志を継ぎ善政をしき給えば、死後磐衝別命の母君弟苅羽田辨命と併せ、社殿を造り産土大神と斉奉り羽咋神社と称す。
延喜式に登史され、明治十四年県社に列し、大正六年九月二十七日御祭神の両墓所宮内省より御治定、翌七年五月二十日聖旨により当社之金四千百円也る御下賜、同年十月二十三日東久邇宮殿下親しく幣帛を奠め王串を捧げられる。
七塚、例祭日の唐戸山神事大相撲等祭神に関する伝説多し。
以上 |
参考:『日本の神々8』白水社、『平成祭礼データCD』、『式内社調査報告』巻十六
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