能登生国玉比古神社(気多本宮)
石川県七尾市所口町ハ48 its-mo
鳥居 南側 東側
交通案内
JR七尾線七尾駅下車南へまわりこむ 700m
祭神
大己貴神
配祀 素戔嗚尊、奇稻田姫命
合祀 事代主神、底筒男神、中筒男神、上筒男神、建御名方命、多遲摩毛理命
摂社
御門神社「豐石窗神、櫛石窗神」
稲荷神社「倉稻魂神、大宮女命」
菅原神社「菅原道眞」
鍛冶祖神社「天目一箇神、金山彦神、金山姫神」
太鼓橋と神門
由緒
能登国の式内社の能登生国玉比古神社の論社の一。
社伝では、大己貴命は始め出雲国より此の所口へ着き給ひしが、当国鹿島路の湖水に毒蛇棲み人民為に苦しめりと聞き給ひ往きてこれを退治し、遂に羽咋郡竹津浦に垂迹し給ふ。
孝元天皇の創建と伝わる古社。崇神天皇が当社の祭神の分霊を羽咋郡竹津浦に勧請し、気多神社と称した。当社を気多本宮と称した。
建武元年(1334)中院少将定清に詔して社殿の修理を加えしめられ、同三年源頼朝は神封五反及び免田を加増せられた。
前田利家、当社を字明神野へ遷し、社殿を造営し、神封として更に二十俵の地を寄進した。
拝殿
お姿
社殿は東南に面している。本殿は入母屋造で間口二間一尺、奥行一間二尺。境内地は一三〇七坪。
遠くからでも社叢の高い木々が密集しているのが見える。南側の鳥居をくぐって参道を行くと石の太鼓橋がある。優雅。拝殿は厳かな雰囲気、本殿は木々の中でよく見えない。
摂社の菅原神社の前に大砲の弾のようなものが転がっていた。
お祭り
3月 21日 平国祭 気多大社御輿を当本宮へ奉迎する。
4月 十三日〜十四日 チャンチキ(チョンコ)山 旧社地(小丸山)へ当社の御輿出御、六つの曳山を供す。
木々の中の本殿
菅原神社と弾
平成祭礼データ
延喜式に見られる能登生国玉比古神社といわれ、孝元天皇の創祀という。
崇神天皇が当社の祭神を分霊し、羽咋郡竹津浦に勧請し気多神社とされた故に、当社を気多本宮と称する。
天正年間に前田利家旧社地所口より現在の所口へ遷された。
明治五年三月二十三日県社に列し、同三十九年十二月二十九日神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正十二年神門及び拝殿を銅葺とし、昭和四十二年より四十六年に亘り社殿を大修理した。
以上 |
参考:『神社名鑑』『平成祭礼データCD』、『式内社調査報告』巻十六
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