三国神社
福井県坂井市三国町山王6丁目2-80 地図
鳥居と巨木
交通案内
三国電鉄三国駅下車
祭神
大山咋命、継体天皇 配祀 雷神(『平成祭礼CD』)
椀子王(継体天皇の皇子 三国真人の祖)(『大日本史』など)
彦太忍信命(『越前国名勝志』)
由緒
越前国坂井郡の式内社に三国神社があるが、現在は廃絶。式内三国神社の後裔社を名乗った神社。
三国と敦賀はそれぞて国造も置かれたように越前では重要な、日本海航路の要港であった。三国港に鎮座する重要な神社として延喜式にも記載されたが、奉斎した氏族の没落でもあってか、中世には廃絶していた。近江から三尾氏一族は当地に移住して繁栄し、三国君を圧倒したのではなかろうか。
当地一体は沼地や湿地帯であり、これを水田ができるように開拓したのが男大迹王(後の継体天皇)であって、その実力と繁栄をもって武烈以降の皇位についたとの伝承があるが、おそらくは移住してきた三尾氏の開拓によるものであろう。その功績が男大迹王とされたのは、例えば真言宗の古刹が弘法大師によって創建されたとなるのと同じ現象。
中世の三国では千手寺正智院が港内の惣氏神として大きな信仰を集めていて、それを別当寺とする山王社が鎮座していた。この社の後身が現在の三国神社である。社伝によれば、継体天皇没後、当地が故地であったことから、朝廷の命により、天皇の神霊を奉祀したもので、その衰微したものを山王社の大山咋命とともに守護したものであると言う。
随神門
拝殿
お姿
鳥居の右横の巨木は古社の面影を伝えている。
随神門を潜ると巨石を並べた一段高い場所に社殿が鎮座する。磐座信仰が残っている気配。これは山王宮に継体天皇を合祀した際に新たな場所に社殿を建築しているようだが、山王宮の旧地があり、巨石を置いて祭られている。
摂社の木立神社は幕末の藩主の松平春嶽の生祠である。春嶽を生きながら神として祀ったもので、即身成仏と言うことではない。生きながら神として祀られる気持ちとはどんなものだろうか。
本殿
社殿風景
お祭り
5月 19,20、21日 例祭 三国祭
北陸三大祭りの一。神輿二基、神宝捧持の行列、武者行列に名物の武者人形山車六基が港町をねる。250年の歴史を持つ祭り。
山王宮跡
参考:『日本の神々8』白水社、『平成祭礼データCD』、『式内社調査報告』巻十五
三国神社HP
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