船待神社
大阪府堺市堺区西湊町1-2- its-mo

鳥居


交通

南海本線港駅 東600m 阪堺線御陵前 南150m



祭神
天穗日命、菅原道眞


 延喜式内社の生國神社(鍬靱)の所在は江戸時代中期には既に不明となっていたようだ。志賀剛博士は船待神社を比定されている。

拝殿



由緒(『平成祭CD』から)

 当神社は元塩穴郷にあり塩穴天神社といわれ天穂日命を祀る。その後延喜元年一月(人皇第六十代醍醐天皇の御代)菅原道真公が太宰府へ下る途中河内道明寺を経てこの地に来たり船を待つ間この地に祀られてあった菅原道真公の遠い先祖に当たる天穂日命の祠に参拝し松の樹を植えて出発した。その後長保三年(1001)一月十五日(一条天皇の御代)菅原朝臣為紀という人がこの地に来たときに残した種々の跡を調べ官にお願いして天穂日命の社に菅原道真公を合祀し船待天神社と改めた。その後寛治年中(1087〜93)に塩穴郷より今の湊の地に再建されたものである。

本殿 西側の境外から



たたずまい

  鳥居は東側と西側にある。社殿は東向きに鎮座。一本の楠木が大きい。
 境内に摂社が分散して鎮座している。


 蒼神社は少彦名命を祭る。敏達天皇の時代の創建とされる。


 その隣には、役行者(左側)と三宝荒神社(右側)が鎮座している。


 不動尊

 


 住吉大神、春日大神、琴平大神、恵比須大神、厳島大神、大国主大神、天照皇大神、事代主大神、少彦名大神、八幡大神、猿田彦大神が一つの建物に祭られている。

 志賀剛博士は式内社の生国神社を当社に比定されている。船待神社は塩穴郷から当地へ遷座して来ている。当地に生国神の神霊がとどまっており、遷座して来た船待神社に神霊が遷ったのか、塩穴郷の時代に生国神と天穂日神とが合わさったのか、全く別の何かがあったのか、不明である。


お祭り

  9月 15,16日 秋季例大祭

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