多治速比売神社
大阪府堺市南区宮山台2ー3 its-mo


交通

泉北高速泉ヶ丘 西1.5km



鳥居と拝殿




祭神

多治速比売命 配 素盞嗚尊、菅原道真、蔵王権現
摂社
鴨田神社「加茂別雷命」式内社
阪上社「阿智使主」式内社
福石社「福石大神」
稲荷社「稲荷魂命」
弁天社「市杵嶋姫命」



由緒

 泉北丘陵に鎮座、現在はニュータウンの真ん中になってる。高山(こうぜん)の宮(荒山宮)と呼ばれる。
 祭神の多治速比売命を弟橘姫命とする説がある。 発音が若干似ていること、近くに式内大社で日本武尊を祭神と伝える大鳥神社が鎮座することなどによる。

 永正十五(1518)年の縁起書『高山記』の序文に「其巻一巻述牛頭天王之事績」とあるが、これでは社名の多治速比売命の由来が分からない。
 この辺りには陶器を焼いた遺跡などが出ており、太田田根子に関連する陶荒田神社なども鎮座している所から、その関連の神社ではなかろうか、「タジ」からは但馬国とか丹比郡が連想され、日本海側の陶器作りの氏族が斎祀った比売神ではなかろうか。

拝殿

本殿



由緒 平成祭礼データから

  当神社は延喜式内社の一つで二十八代宣化天皇(五三0年)の頃の創立と伝えられて いる。明治初年までは総福寺と併存した神宮寺であったが神仏分離の際神社のみとな った。現在の本殿は室町時代の建造物で昭和二十四年重要文化財に指定せられ、同二 十九年から同三十一年にわたり解体修理が行なわれた際、天文八年(一五三九年)か ら同十二年(一五四三年)の間に再建されたことが明らかとなった。

 主祭神は多治速比売命で、女神として安産・縁結び・厄除の守護神として厚く崇敬さ れている。さらに本殿には素戔嗚尊・菅原道真公・蔵王権現の三体も合祀され、特に 道真公は学問の神「天神様」として厚く信仰されている。また本殿の左右に鎮座する 阪上社・鴨田社はいずれも式内社で明治末期に平井村・太平寺村から合祀された古社 である。さらに境内末社に住吉社・春日社・大神社・熊野社・白山社・福石神・稲荷 社と和田村・伏尾村から合祀された八幡社、大庭寺村から合祀になった弁天社などの 八百よろずの神々が鎮座され合わせて荒山宮とよばれている。
以上



福石社


福石社


 福石社の特殊神事の福石祭は「福石のおこないの式」と呼ばれる。祭典は1月6日。 お札は板木で作られ、右から保食神、飯成大明神、牛馬・蚕の守神 と書かれ、これを柳の枝二本の間にすすきの穂、榊の葉とともに挟み米一升を添えて神前に供える。これを「牛王杖」と称し、祈祷の後で家へ持ち帰り、苗代の水口に押し立てておけば、蝗などの害を防げると言う。


お祭り


10月 5日 1日間 秋季例大祭





式内社 鴨田神社
 大字太平寺部落の西端にあり、社域七十余坪なる村社にして当大字の氏神なりしが、明治四十年、多治速比売神社へ合祀し、其の廃址は只一個の石標を太平寺内に残すのみ。当社は式に鴨田神社とあるもの、古来祭神について定説なし。俗呼びて住吉明神となすといふは、拠り所なきに似たり。次に事代主命となすものは大和葛上郡鴨神社の同名なればいふなるべし。又太田々根子命、大己貴命を祀るといふものは、姓氏録に「加茂朝臣、大神仝祖、大国主神之後也、太田々称古命孫、大賀茂都美命」などあるに考へ、又所在地、上神は加無都美和と訓めば、大神氏に因にあるべしといふに基く。
 『大阪府誌』には直に祭神を別雷神とせり。鴨は『姓氏録』に、「加茂県主、鴨県主、神魂命孫、武津之身命之後也」とあり。この付近に居住したる和田首、大庭造、大村直、荒田直、皆神魂命の後なれば、この地方は其の一族の根拠地なるべく、随つて、この社は其の祖先を祀れるものなるべきか。(大阪府全志)


本殿に向かって右側に鎮座 鴨田神社(神社HPから)




式内社 坂上神社
 坂上神社の址は南方字南垣外にあり、社は縁起式内の旧社なれども祭神は詳ならず。本地の産土神にして明治五年に村社に列し来りしが、同四十三年大字和田の多治速比売神社に合祀せられて今はなし。(大阪府全志)


本殿に向かって左側に鎮座 坂上神社(神社HPから)


公式多治速比売神社
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