高石神社
大阪府高石市高師浜4-1-1  its-mo


鳥居

交通

南海羽衣から高師浜行き、高師浜



祭神
少名彦名命、天照大神、熊野坐三社



拝殿と前の磐座



由緒

 社伝によれば「創祀の歳月確かならず。或いは曰わく、白雉元年(650)なりと、醍醐天皇延喜の御代、延喜式の小社に列し、堀河天皇の御代寛治年中(1087〜)社殿の再建あり 云々」とある。

 『和泉国名所図絵』には、「高志の祖王仁を祭る、今天神と称す」とある。


本殿 入母屋千鳥破風作り



お姿

 当地は江戸期の熊野詣での途次に位置するので、熊野坐三社が祭られている。参道右側に高さ三尺五寸の石碑があり、白河法皇熊野権現御拝所と彫られていると言う。熊野権現は読みとれた。裏には安政四年(1857)とある。 熊野古道は当地より東4kmに小栗街道として残っている。ここは紀州街道沿である。

 境内は広い平地で、松の木が多く植えられている。また楠木も数本見受けられる。


熊野権現の碑



お祭り

10月 9日 2日間 秋祭

由緒 平成祭礼データから

 創祀の歳月確かならず。或は云う、白雉元年なりと。(昭和五十五年を隔る千三百三十年前也)。
 醍醐天皇延喜の御代、制式の小社に列し、堀河天皇の御代、寛治年間(昭和五十五を隔る九百年前也)社殿の再建あり。国内神名帳に云う、従五位上高石大歳社、高石倉立社と見ゆ、今天神と称す。(式内考に載る)。
 今の社殿は、寛永十二年(昭和五十五年を隔る三百三十六年前也)の再建なり。和泉名所図絵には、高志の祖、王仁を祀ると記せり。或は、往古境内に王仁を祀る一社ありしにやあらん。
 昭和九年九月二十一日関西地方を襲える稀世の風水害に遭遇し、被害甚大、巨木倒壊し、社殿を損い、昭和十年十月十二日改築復旧造営起工をなし、昭和十一年五月十五日竣工遷座祭を斎行す。
 昔、逍遥院三條実隆高野参詣の途次、この社に立寄り、高師浜の松原の下、天神社の前に輿を立て、「袖の上に松吹く風やあだ浪の高師の浜の名をも立つらん」実隆(逍遥院高野紀行に云う)。
 境内には、小倉百人一首、祐子内親王家紀伊の詠まれたる、
 「音に聞く高師の浜の仇浪はかけしや袖のぬれもこそすれ」
 の碑あり。高さ七尺、幅四尺の自然石にて苔蒸せり、従三位富小路貞直の筆なり。
 老樟の下に石玉垣を周らしたる碑あり。白河鳳おう熊野権現御拝所と記せり、紀州熊野詣の途次ならん。
以上


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