雲根神社・うこな明神
出雲市大津町430 its-mo

鳥居

交通
一畑電鉄大津町疫下車 北に800m



祭神
素盞嗚尊、稻田姫命


拝殿

由緒
 。『式内社調査報告』で石塚尊俊氏はこの雲根神社を延喜式神名帳出雲国神門郡の神産魂命子午日命神社に比定する考え方を紹介している。出雲国風土記には鹽夜社、同鹽夜社とあるが、風土記記述の頃(天平五年西暦733年)には神祇官社ではなく、後に官社となったのである。

 斐伊川水運の要衝で奧出雲と深くかかわる。また洪水の被害もあった。
 斐伊川中の住民は開拓祖神としてヒメ神を祀っていたが、いつのまにか稲田姫となった。稲田神社と呼ばれていたが近くに鎮座していた素盞嗚尊を祀る石塚社を合祀したと云う。
 石塚は八岐大蛇をこの所に埋め、石を以て覆った。これで石塚というようになった。


本殿

お姿
 斐伊川の西側に鎮座、石塚社は斐伊川土手の改修工事の際合祀されたと云う。 境内には石神祠があり、八岐大蛇荒魂が祀られている。他に、弥八荒神、昭和荒神社などが鎮座。


石祠


お祭り
 10月 9日〜10日  例祭

『平成祭礼データ』lから

 由緒
 当神社は平安時代の初め頃(約千年前)から、当時石塚郷(後の石塚村、現大津町の東半分)の大氏神としてまつられてきた神社で、初めは稲田姫命をまつる稲田姫の社と、八岐大蛇の荒魂を鎮めて素盞嗚尊をまつる石塚の社(あるいは石神の社とも)とに分かれていましたが、およそ藩政時代の初め頃(約四百年前)、この両社を合せ、互に社名を異にするところから、石塚の異名の雲根をとって雲根神社と称するに至ったお社であります。
 素盞嗚尊の荒魂は破邪顕正の威力を発揮したまい、稲田姫命の和魂は殖産興業の働きをなしたもうものとして、古くは出雲国造家を始め代々の領主・武将の尊信も篤く、藩政時代には出雲の国十五名社の一に数えられておりました。
 以上

参考 『神国島根』、『式内社調査報告』、『平成祭礼データ』

西日本神社一覧
神奈備にようこそに戻る