佐太神社
松江市鹿島町佐陀宮内72  its-mo

鳥居

交通
松江駅より恵曇方面行きバス佐太神社前下車



祭神
佐太御子神(風土記)

北殿 天照大神、瓊々杵尊
正中殿 佐太大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、事解男命、速玉之男命
南殿 素盞鳴尊、秘説四座

摂社
北殿・南殿末社 早人社
母儀人基社 伊弉冉尊
田中社 東社 磐長姫命  西社 木花開耶姫命
随神社 南社 天忍日命  北社 大来目命
北末社 山王社 大己貴命  宇智社 天児屋根命  玉御前社 玉屋姫  竹生島社 竹生島神(稲倉魂命)
南末社 戸立社 手力雄命  振鉾社 天鈿女命  垂水社 垂水神  天神社 菅原道真 


拝殿

由緒
 秋鹿郡の式内社。『出雲国風土記』には、佐太御子社とある。

 国引き神話で云う狭田の国であり、北門の佐伎の国の余りを引いてきたことになっている。佐伎の国は不明。
 秋鹿郡にも神名火山があり、高さ二百三十丈とある。出雲国の仏経山(366m)で百七十五丈、これより高い山のはずだが、実際には朝日山(341m)とされる。『風土記』異本には、高さ三十丈とあり、これなら佐太神社後方の弥山(91m)となるが、見晴らしなどの点から神奈備山と見なすのはいかがなものか。 神名火山の下(ふもと)に佐太大神の社があると『風土記』にあり、朝日山の場合には当社は麓に鎮座のイメージはない。遷座があったと考えられる。面白いのは、朝日山の麓から銅剣六口と銅鐸二口が出土しており、元社付近であった可能性がある。

 狭田の大神の誕生説話が『風土記』島根郡加賀郷に下記のようにある。
 佐太大神の生まれまし所なり。御祖、神魂命の御子、支佐加比売命、「闇き岩屋なるかも」と詔りたまひて、金の弓以ちて射給ひし時に、光り加加明けり。故、加かと云ふ。


本殿

加賀の潜戸 its-mo


新潜戸 夏の日の出が向こうの穴に昇ると云う。


新潜戸


旧潜戸
 

お姿
 東を向いて鎮座、かっては宍道湖がもっと迫っていたようだ。
 本殿は三殿あり、重要文化財。


お祭り
 5月 20日〜25日 神在祭裏祭
 9月24日、25日  御座替祭、御法楽祭(佐田神能 無形重文)
 11月20日から25日の間、神在祭が行われる。
 この期間、境内の周囲に注連を張り、斎串を立て、神々の来臨を待つ。奏楽をせず静謐を第一とする。25日の深夜になると、宮司以下一同神籬を立て、社頭から乾の方1キロばかりのところにある神目山に登り、秘法をもって神送りする。厳重に行われている。   

佐太神社御由緒(社頭掲示用)


御祭神
北殿 天照大神、瓊々杵尊
中殿 佐太大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、事解男命、速玉之男命
南殿 素盞鳴尊、秘説四座

御神徳・沿革
当社は出雲風土記に、佐太大神社あるいは佐太御子社とあり、三笠山を背に宏大な3 殿が相並び、千木高く御鎮座になっているので佐太3社とも称えられている御社であ る。

主祭神は佐太大神、日本海に面する加賀の神碕潜戸にご誕生になり、古の狭田国開拓 の祖神であり、出雲四大神の一柱として崇められ、家内安全、交通安全、五穀豊穣、 地鎮、海上安全、厄除等の諸願成就の神として古来深く信仰されてきたのである。 くだって、延喜式では、佐陀大社と記され、出雲二宮として仰がれ、後宇多院御領目 録によれば佐陀神領7百貫、鎌倉将軍家御教書によれば佐陀神主領2百80町歩とあ り、出雲国内諸社の間に特殊の地位を占めてきたのである。

御社殿
御本殿三宇は各々通殿があり、通殿によって各中門に接続し、中門は翼廊によって互 いに連結され、この翼廊より本殿左右を囲む透塀は社後の三笠山に衝き当たってとど まる。
本殿は三殿並立で、中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿いずれも大社造りで 、このような豪壮な三殿構えは平安末期に成立したようであり、他に類例を見ないも ので、神社建築史上特筆すべきことである。
現在の御社殿は文化4年の造営であるが、その様式は元亀年間の造営を踏襲してきた もののようである。国の重要文化財に指定されている。

文化財
彩絵檜扇、龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱、色々威五十八間筋兜、色々威胴丸、色々威腹巻 (以上重要文化財)蛭巻薙刀、野太刀、舞楽面、鰐口、線刻十一面千手観音鏡像、着 彩阿弥陀来迎図鏡像、御供台(以上県文化財)

佐陀神能
御座替祭、例祭に執行する神事芸能で、その起こりは極めて古いものとされ、出雲流 神楽の源流といわれている。剣舞、散供、清目、御座、勧請、手草、八乙女の七座よ りなる採物舞と、祝言としての式三番、そして大社(佐陀)、真切目、恵比須、八幡 、武甕槌、日本武、磐戸、三韓、八重垣、荒神、住吉、厳島の12座よりなる当社を 始め諸社の縁起を演舞する神事舞からなっている。国の重要無形文化財に指定されて いる。

摂末社
田中神社 御本社北殿の摂社で、西社は木花開耶姫命を祀り縁結、安産。東社は磐長
姫命を祀り縁切、長寿の信仰がある。
北四社末社 本殿北側に座す、山王社、宇智社、玉御前社、竹生島社。
南四社末社 本殿南側に座す、戸立社、振鉾社、垂水社、天神社。

佐太神社御由緒略記(社頭配布用)
当社は島根県八束郡鹿島町大字佐陀宮内に鎮座になり、出雲国風土記(天平5年=7 33)に、佐太御子社もしくは佐太大神社と記されている古い神社で、境内地1万参 千余坪に本殿、直会殿、舞殿、神門および数宇の摂末社等の諸建造物を有し、本殿は 、三殿並立の大社造り(国指定重要文化財)である。祭神は、正中殿に佐太大神、伊 弉諾尊、伊弉冉尊、速玉之男命、事解男命、北殿には天照大神、瓊々杵尊、南殿には 素盞鳴尊、秘説四座の神々が祀られている。

主祭神佐太大神は、世にいう猿田毘古大神で、出雲風土記によると加賀の神碕に御誕 生になり、佐太地方一円の祖神であり、古来福神、導の神として、交通安全の守護神 、船玉神、海上守護の神、寿守の神、地鎮の神として世上の信仰深く、清和天皇の貞 観年間には従四位下に叙され、後鳥羽院の頃には神門に勅額を掲げられたと伝えられ る。また、後宇多院の時には神領7千貫で、神職224人と定められていたという。 延喜式(延長5年=927)には佐陀大社と記され、また出雲二宮と仰がれて出雲国 内諸社の間に特殊の地位を占めて来たのであります。佐陀大社御神事帳を始め、社記 古縁起によれば、当社年中の祭祀は75度あったといわれるが、そのうちの主なもの は次の諸祭祀である。
2月15日の管粥祭、これは、粥占の神事で、籾種を授与するので一にお種祭ともい い、管に表れた小豆粥の詰り具合で五穀の豊凶を卜する。
5月3日の直会祭、この祭典は直会殿の神事を主とする所からこのように呼ばれ、や ぶさめ神事、猿田三番舞、直会神事、獅子舞等を執行する。
5月20日より25日までの神在裏月祭、7月15日のお田植祭、9月24日の御座 替神事、この神事は19日より斎戒沐浴日夜勤行の後、24日夕刻摂末社より次第に 御座替式を奉仕して南殿、北殿、正中殿に及ぶもので、25日は弊帛を奉って祝賀の お祭りを行う。また、両日ともに夕刻より七座神事、能神事を催す。これは剣舞、散 供、勧請、手草、八乙女の七座よりなる採物舞である。そして能神事は当社を始め諸 社の縁起を演舞する神事舞である。これに大社、真切目、恵比須、八幡、武甕槌、日 本武、磐戸、三韓、八重垣、荒神、住吉、厳島の12段があり、国の重要無形民俗文 化財に指定されている。11月20日より25日までは神在祭である。これは10月 を一般には神無月というが、出雲国だけは神在月と称している。現在11月の祭礼は 旧暦10月を陽暦に改めたものである。社伝によると、正中殿の御祭神伊弉冉尊の神 去りました旧暦10月に八百萬の神々が当社に参集されるので、幟も立てず、神楽も あげぬ厳粛な物忌みがなされるところからお忌み祭とも云う。この祭には神迎え神事 、注連口神事、神等去出神事、船出神事、止神送り神事、柴刺神事、宿借神事等があ るので、古来当社を「神在りの社」とも云っている。また、この祭りに必ず龍蛇の出 現ということがある。佐太の龍蛇といえば広く人口に膾炙した奇瑞であって、火難、 水難を始め一切の災厄を除去し、農作、商売、魚漁の福祉を守護する霊物として信仰 されている。これが年毎時を変えず神在の浜すなわち佐陀の浦辺に現れ当社に納めら れる。古歌に 出雲なる神在月のしるしとて龍蛇の上る江積津の浜 御宝物に、色々 威胴丸、色々威腹巻、色々威五十八間筋兜、彩絵檜扇、龍胆瑞花鳥蝶文、彩絵扇箱、 (以上重文)蛭巻薙刀拵、野太刀、舞楽面(陵王)、鰐口、線刻十一面千手観音 鏡像、着彩阿弥陀来迎図鏡像、御供台、(以上県指定)等がある。
なお、当社付近には、佐太講武貝塚(史跡)、佐太神社前弥生式遺跡、古浦弥生式遺 跡、志谷奥銅剣、銅鐸出土地、古城跡、身澄池、神ノ目山、伊弉諾浜、苗松、神出島 、加賀潜戸、お的山、佐陀奥院成相寺等々の当社ゆかりの地がある。

参考 『式内社調査報告』、『平成祭礼データ』、『日本の神々』

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