熱田神社
大阪府松原市別所町576番地 mapfan

鳥居と境内

交通案内
近鉄河内松原駅 北へ1.5km それから東へ800m


祭神
日本武尊

摂社 龍神大神、稲荷大神、金比羅神社など

由緒
 神社創建については不詳。
 松原市HPによると「当地に住む僧が尾張の熱田神宮に詣で、祭神の日本武尊を勧請したといわれています。すでに江戸前期には「熱田大明神」として祀られていました。伏見稲荷の創建譚にように白鳥をシンボライズした農業神として崇敬した。」との推測が述べられている。

 社頭の説明は次の通り。
 この宮は、日本武尊をまつる。日本武尊は景行天皇の皇子でもと小碓命という。 御父の命により九州の熊襲をうつ。熊曽建は死にのぞみ倭建の御子の名をおくる。 これより日本武尊と名のる。再び東国の蝦夷を討つ。その途伊勢神宮に詣で叔母の倭姫命より、神剣を受けられ、国々悪神を討つ。 帰途伊吹山の神と戦って病を得、伊勢の能褒野でみまかる。その霊は白鳥となって飛んで河内の志紀にとどまる。 よって御陵を白鳥の御霊という。 神剣は草薙剣といい、今は愛知県の熱田神宮にまつる。
 昭和四十七年十月吉日

 神社の由緒ではなく、祭神の説明だが、神社は熱田神宮からの勧請であることを示唆しているようだ。 この神社の西800mに屯倉神社が鎮座、河内國丹比郡三宅郷の地で、平安時代においても土師氏のにおいの強い所ですが、一方溜め池が多くあり土木工事が相当なされた地域であること、また三宅の名であることから秦氏の痕跡が残っていないかを探して見たのですが、今の所は明確には出ていません。
 河内國の茨田郡と讃良郡の交差する寝屋川市秦町に同名の熱田神社が鎮座、お旅所は秦河勝の墓ともされ、秦死と熱田(尾張氏)とのつながりを示しているようにも見えます。
 また丹比郡は天火明命系統の氏族が多く、これは尾張氏にもつながり、秦氏と無関係に熱田神社が勧請されたのかも知れない。

摂社 手前は龍神大神、向こうは稲荷大神

お姿
 石鳥居の西側に江戸中期のキリシタン灯籠があるとのこと、これはキリスト教が禁止後の隠れキリシタンの礼拝物だとか。 十字架形の下部にアーチ形の凸みをつけ、そこにマリア像と思われる像を刻んだものというが、写真はとっていない。



お祭り
 月 日  


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