二宮神社
大阪府柏原市安堂町19-9 its-mo

鳥居と社景

写真を撮ると言ったのでわざわざ自転車を片づけて下さる
村山流舞踊の家元でもある村山左近神主さん。
村山左近さんが来られてから神社はきれいになり、
  神様が喜んでおられるようになりました。

交通案内
近鉄大阪線安堂駅 東北へ登る 500m


祭神
素盞嗚尊
配祀 武甕槌尊、經津主命、天兒屋根命、比賣大神

大国主命、恵比須神の神碑も残っている。




由緒

二宮神社は杵築神社と春日神社を合わせた神社で、神主さんはフタミヤと訓するのがいいとのことであった。

 『堅下村誌』昭和四年から。
 二宮神社 安堂の上方小丘にあり 喬松蒼々森をなし四望頗る佳景なり 元杵築神社 「式外細記」明和五年(1768年)写本 青矢忠勇書とある。

 さらに、杵築神社は河内国大縣郡安堂村祠 祭神 大国主命としている。
 「古老の伝説」として、当国石川郡水分明神の分社にして下水分宮とも称せりしと申す  庚平年中(1058年から)に勧請したものと申す と記載されている。

 元春日神社 同所に鎮座 と記され、二社を合わせた理由は、安堂部落は前記即ち杵築神社春日神社の二社ありて各氏子を異にし両氏子互いに反目し物議絶えず 遂に村政にも波及するを憂ひ双方の有志奔走の結果 大正十三年十月三十一日双方の土地財産を合併し一社を建設し 右の両社を合祀するに一致調印を為たり 従て前二社は廃社に帰したり
『堅下村誌』からの引用は以上。

社殿と神社に似つかわしくない鉄製の提灯棚

 

 また『式内社調査報告巻四』の宿奈川田神社の項に、故藤澤一夫氏(当時四天王寺女子大学教授)の見解として、二宮神社の鎮座地は字白坂といい、白坂大明神の旧社地と見ておられる。なお、生前藤澤一夫氏は上記のような見解を述べた覚えはないとおっしゃったとの事。この白坂社は中世の宿奈川田神社の呼称であり、諸病を祓い、風水の難を除き、五穀を豊かにする故に、貴賤多く参詣したとある。

宿奈川田神社は現在JR高井田駅のすぐ西側に鎮座する小祠であるが、かっては洪水の名所であるはずの場所で、往古からそこに鎮座していたとは思われない。

逆に二宮神社付近は小高い丘に鎮座し、聖地とも言える場所で、宿奈川田神社跡地に杵築神社と春日神社が並んでいたのも不思議ではない。

 また、枚岡神社に春日神(天兒屋根命、比賣大神)がカラクニから渡来した際、最初に神霊がとどまったと云われる霊能者?もおられると神主さんがおっしゃっていた。河内は物部連の拠点であり、見晴らしも至極佳い丘であるので、物部連や鳥取氏による物部の祭りがなされていても決して不思議ではない。

 畿内の杵築神社は祭神はいずれも素盞嗚尊である。大和国に多く鎮座し、河内は八尾市佐堂に一社。 安堂、佐堂と住所に堂。
 由緒の記載のある杵築神社の創建時期
 生駒郡安堵町 寿永貳年辰卯の日(一一七八年) 安堵と安堂。
 大和郡山市椎木(しきい) 鎌倉時代文永年間の創立
 奈良市二名平野 敏達天皇の皇子春日王による
出雲大社の祭神は、創建から奈良時代末までは大穴持神、平安初期から延宝七年(1679年)頃までは素盞嗚尊、その後は大穴持神に戻った。
出雲大社の名称は、明治五年に出雲大社、それまでは杵築大社、杵築宮などであった。しかし、雲太との言葉があるように、出雲の大社と呼んだ場合もあるかも。

 二宮神社の元社の杵築神社の創建年代は古老曰わくの創建年代(庚平年中)は否定する根拠はない。 ただし、水分社からの勧請は疑問、下水分社(美具久留御魂神社)からとしても、ここは大国主神とされ、それ故に杵築神社と称するのは疑問である。その頃の出雲の杵築大社の祭神は素盞嗚尊。

 杵築神社を勧請したのは、牛頭天王として疫病退散に京の八坂神社が多く勧請されているが、大和や大和に影響されている土地は、京洛に対抗心を持っており、(即ち都を持っていかれた:関西が東京に持つ心などか)、素盞嗚尊を勧請するのに出雲からとしたのかとも思われる。

社叢、社殿



白坂神社(宿奈川田神社)大阪府柏原市高井田661 its-mo


宿奈川田神社概要
祭神 宿奈彦根命、高皇産靈命、級戸邊命
由緒 河内国大県郡の式内社。近くの天湯川田神社とともに鳥取連の祖神を祀るものとされる。宿奈川田神は記紀には出てこない。 『旧事本紀:孫引き式内社調査報告』によれば鳥取連のは祖神を少彦名としている。この神を祖神とする氏族は『新撰姓氏録』には見あたらない。
能登国の式内社の能登生国玉比古神社には次のように伝わっている。
祭神多食倉長命は神代の昔、能登国に巡行された大己貴命少彦名命と協力して国土の平定に神功をたてたまい、能登の国魂の神と仰がれた。その姫神市杵嶋姫命(又の名伊豆目比売命)は少彦名命の妃となって菅根彦命を生み給うた。これ金鋺翁菅根彦命で金丸村村主の遠祖である。神主梶井氏はその裔である。
 もとより神社伝承であり、菅根彦命の名前からの逆発想かも知れず、どこまで信を置けるかは不明。
いずれにしても天湯川田神より古い神格の神と思われる。
お祭り 7月23日 夏季大祭



お姿
 平成13年11月(昨年)に参詣したのだが、この一年ですっかり様変わりをしている。 専任の女性神職さんがまめに境内、社殿内をきれいにするべく奮闘中であり、見違えるようだ。 従って一帯の雰囲気が聖地と言うか神霊の坐す杜になりつつある。
 「喬松蒼々森をなし四望頗る佳景なり」と記されているが現在は松は絶えている。楠木や榊、樫の木が茂るよい社叢をなしている。

 残念なのは拝殿への石段横に手すりを兼ねた鉄製の提灯棚パイプが常設されており、特に横に渡した棒は工事中を連想させる。実に無粋。氏子さん方、せっかく美しくなった神社、これではもったいない。改善をお願いいたします。

 境内北側に杵築神社、南側に春日神社の跡の石碑が建っている。

  お守りなど女性らしい工夫がなされている。神社に参詣の方で願い事がある方には無料で授与されている。この場合、一願をお願いし、成就できれば、後日神様にお礼を申し上げる。また他に願いことがあれば、お守りを頂くと言う一願授与の作法をとっておられる。

手水場の石は盃状穴石です。

  境内奥に置かれていた手水石は、盃状穴石と言う。 神の足跡の穴とも言われるが、願がかなって喜こんでの穴かも知れない。石に貯まった水は実にまろやかで美味しい。



お祭り

 
 7月16日、17日 例祭
 10月15日 秋祭

 平成十九年の夏、神社を美しく再生した村山左近さんは某神社の禰宣さんに転勤されました。 この神社が再び魑魅魍魎の住処になることはさけてほしいものです。氏子さん方、頑張って下さい。
 



『大阪府の地名』角川 から

安堂村 柏原市安堂町

 太平寺村の南、東山麓に位置する。当地辺は低い山地となっている。村 の西、大和川近くを東高野街道が通る。
 大和川の付替え後、街道はここで同川を越え、川南の船橋村(現藤井寺 市)へ通ずる。もと船度しであった。明治七年(一八七四)には西方へ道 が付替えられ、柏原村のところで大和川を渡る新大和橋が架けられた。な お古代には現藤井寺市の岡から東進した大津道が同市の国府・惣社・船橋 を経て、大和川・石川合流点辺りで渡河、当地で竜田道に合していたとす る説がある。
「万葉集」巻九の一首の題詞にみえる河内大橋

(注 by 神奈備)
 巻九 一七四二 見河内大橋獨去娘子歌一首
 しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍も ち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく (注は以上)

 「続日本後紀」承和八年(八四一)三月二日条にみえる恵賀川借橋を、 この度河点に架かっていた橋とみる説があるが、丹比道に架かっていた可能性もあり決めがたい。安堂の地名は仏教寺院に起因するといわれている が不詳。「河内鑑名所記」には「古へハ伽藍所之由、今ハ小堂に大日如来 在ス」とある。この小堂は享保十一一年(一七二六)に中興されて、現在 の曹洞宗大日寺となっている。古墳前期から中期にかけての安堂古墳群や 太平寺古墳群がある。安堂古墳群は、七群二六基が認められる。前方後方 墳一基・前方後円墳一基が含まれ、また横穴もある。六〜七世紀に築造さ れた、横穴式石室を主とする平尾山古墳群や、雁多尾畑古墳群とは異なる 形成過程を示している。
           
 奈良時代の家原寺(「えばら寺」「いえはら寺」とも)とみられる廃寺 跡が集落のすぐ東、現在の安堂町字観心寺にみつかっている。家原寺は「 続日本紀」天平勝宝八年(七五六)二月二五日条にみえる、孝謙天皇巡拝 の河内六寺の一つ。家原寺に関連して家原里もこの付近であろう。河内大 橋の架橋に際して、天平勝宝六年九月二九日に家原里の人々が大般若経書 写の奉仕知識(勧進)をしたことがあった(和歌山県伊都郡花園村観音堂 大般若経奥葦。その後、興国四年(一三四三)源康政が「大方郡家原里」 の光延名田地三反を観心寺(現河内長野市)の鎮守伽利帝母御宝前常灯科 所として寄進した(観心寺文章。小字観心寺は、この時に寄進されたとこ ろであろう。家原里・家原寺の所在も確認できる貴重な小字地名である。
 大県郡に属し、正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳によると高 二四九石余、ほかに山年貢高一七石余。元文二年(一七三七)の河内国高 帳も同高、ほかに小物成八石余(幕府代官所柄め)。前記村高控帳では大 坂定番稲垣重綱領、「寛文朱印留」では京都所司代牧野親成領(明暦二年 から)、寛文八年(一六六八)上知。延宝年間(一六七三〜八一)この河 内国支配帳では旗本仙石領(幕末に至る)。

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