金山彦神社・金山媛神社
金山彦神社 河内大県 柏原市大字青谷1025番地 ゼンリン
金山媛神社 河内大県 柏原市大字雁多尾畑4828番地 ゼンリン

金山彦神社の鳥居


交通
JR河内堅上駅より西へ行き、左手の道を山のほうへ道なりに 20分で彦 更に20分で媛社。二度目の参詣では金山媛神社の社殿は再建されていた。


祭神
金山彦神社  金山毘古神

金山媛神社  金山毘賣神

金山媛神社の摂社
透神社(すかし) 志那都比古神
天皇社 天菩比神
大将軍神社 大山咋神
ほか

金山彦神社

金山彦神社拝殿横の古墳祭祀

由緒
   ともに大県郡所属の式内社。
 『古事記』の「国生み」に続いての「神生み」の条に「伊邪那美神は、火の神を生みしによりて、遂に神(カム)避(サ)りましき。」とある。
亦の名は火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)と謂ふ。この子を生みしに因(ヨ)りて、み、ほと炙(ヤ)かえて病(ヤ)み臥(コヤ)せり。 たぐりに成りし神の名は、金山毘古神(カナヤマビコノカミ)、次に金山毘売神(カナヤマビメノカミ)。

 古い神格の金属神なのか、後に多くの金属神を統合して構想された神なのか、何とも言えない所であるが、この神を祀る神社としては、美濃國不破郡の名神大社の仲山金山彦神社(南宮大社)が知られている。
 金山彦神社は「嶽山」の頂上にあったものが、現在地に移転したものとされている。金山媛神社についても、「嶽山」の頂上にあったとの説があるが、 宮司さんは、金山媛神社は元々から現在地ではなかったかと言われていた。
 金山媛神社は現在(平成十三年八月六日)再建中であり、おかげで本殿背後の磐座がよく見える。原始の祭祀場のように思える。 また、考えてみれば、「嶽山」の頂上からの移転は相当古い時代のことのようで、社殿があったのかは疑問、要するに建物を建てる段階で、現在地に里社として建てられたのであろう。
 「嶽山」のすぐ近くには、竜田大社の奥宮の「御座峰」がある。



金山媛神社鳥居と拝殿



金山媛神社の社殿と磐座


 金山媛神社の鎮座地は「雁多尾畑」と云う。「かりんどおばた」と読む。鉄滓(かなくそ)が多く残っているそうだ。タタラ製鉄の名残であろう。
 この辺りの製鉄は、鳴石という葦などの根本に出来る水酸化鉄や二上山の噴火灰の中の鉄分を使ったそうであるが、あまり良い質のものは出来なかったと云う。 6世紀頃の鍛冶遺跡が大県郡から出ているが、これらは河内王朝が朝鮮半島から鉄を持ち込んで、もっぱら武具を作ったと云われる。

 地名の「雁多尾畑」は狩人から来ていて、狩人とは山の中の金属鉱床を探す一連の人を刺していたと云う。 また「焼畑」のことを兵庫県養父郡八鹿町では「カリュー」、城崎郡美方郡では「カリオバタケ」と云う。早期に製鉄が衰退して、焼畑になったとすれば、「雁多尾畑」はまさに「カリオバタケ」そのものである。 現在は山の斜面は葡萄畑となっている。

金山媛神社摂社透神社と荒御霊
 

お姿


 金山彦神社の神木の杉の樹齢は約500年程度と思われる。 またかっては社叢の中に大きい杉の木があったそうで、現在切り株のも残っているとのこと。 民話にその杉の木のうなり声の物語があるそうだ。
 金山媛神社は磐座がはっきり見える。 仮本殿のおかれている右手上部の隅に透神社(すかし)が鎮座している。スカシとは風を入れる為の上げ底を云う。 河内の製鉄は、手が込んでいるのか、このような神様をも祀っている。

金山彦神社本殿

金山彦神社お祭り


  7月 15日 1日間 夏季例祭
 10月25日  秋季大祭

金山媛神社お祭り


  1月 14日 1日間 どんと祭
  7月 25日 1日間 夏季大祭
 10月25日  秋季例祭

日本の神々3(白水社)


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