布忍神社
大阪府松原市北新町2-4-11 mapfan

西除川からの社景

交通案内
近鉄南大阪線布忍駅 北西 400m


祭神
速須佐男之尊、八重事代主之尊、武甕槌雄之尊
摂社 末広稲荷社 宇迦之御魂大神




由緒

『大阪府全志』本地(大字向井)は古来は丹北郡に属し、もと布忍荘の内にして向井村と称す。字地に宮村といへるあり。河内志村里の條に「向井屬邑一」と記せるは、此の字地を指せるものならん。
 布忍神社は西方字坊中にあり、阿麻美許曽大神、事代主命、武甕槌命を祀れり。里老の口碑に依れば、社はもと八町許り北方なる字天見丘にありしを、白布を敷きて当所に迎え奉る。故に社名を布忍と号し、村名を向井と称すと社の近傍なる氏子の各村は毒虫の到ることなく、神霊の奇瑞なりと称して崇拝せり。明治五年村社に列し、大正四年八月神餞幣帛料供進社に指定せらる。境内は七百七拾壱坪を有し、本殿・幣殿・拝殿・絵馬舎・社務所を存し、末社に春日神社・水分神社あり。氏地は本地及び大字高木・同東代・同清水・同更池・天美村大字掘にして、例祭は十月十五日、夏祭は七月十三日に行はる。

拝殿

 神社で頂いた資料から
 布忍(ぬのせ)と云う地名について
 『新撰姓氏録』の河内国皇別に、「布忍首 的臣同祖、武内之宿禰之後也」とあり、布忍神社とは何らかの関係があったと思われる。
 『景行紀』に、「日本武尊、両道入姫皇女を娶って、稲依別王・足仲彦天皇・布忍入姫命・稚武王を生んだ。」とあります。布忍入姫命と当地との関連は不明ですが、父親と兄弟の顔ぶれから河内が浮かぶのは事実。
 『布忍山東坊縁起』には、「人皇五十二代嵯峨天皇の勅願によって弘仁五年(814)弘法大師再建の伽藍・本堂薬師如来・金堂観自在尊・五重塔大日如来・鎮守牛頭天王・三宝荒神・春日大明神を布忍七ヶ村の産土神と崇め奉る」とあります。
 当神社は、明治以前は祇園社として牛頭天王を御祭神としていました。また、薬師如来を表す梵字が本殿の蛙股に彫刻されています。神仏混合時代においては、牛頭天王の本地仏である薬師仏も合祀されていたと思われます。

本殿 覆殿と内陣
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お姿
 宝永二年(1705)に奉納された「布忍八景」と題する絵馬が拝殿奧にかかっている。宮司さんが懐中電灯で照らしながら見せてくれました。300年以上前のもので、それも暗い場所、分かり難いものですが、境内にその内容を表示した掲示板が立ってる。
 本殿は一間社流れ造り。檜皮葺き。本殿は極彩色で、昭和五十八年に建築当時のものに復元された。蟇股に梵字が彫刻されている。
 一の鳥居は鎌倉時代とされていたが、トラックがバラバラにしてしまった。新しく建てられている。神門があり、社殿に到る。また、東側にも鳥居が出来ている。
 遠くからでも大きい木々が見える。さわやかな社域。大切に祀られているように見受けられた。

神門   東の鳥居
 



お祭り

 
 10月 14日 2日間 例大祭 [通称]秋祭
 

布忍(ヌノセ)神社に就いて・2003版 大三元さん

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