狹山神社
大阪府大阪狭山市半田1丁目 mapfan

狭山池

交通案内
南海高野線金剛駅 西側500m


祭神
天照皇大神、素盞嗚命 配 臣狹山命、天兒屋根命

摂社
狹山堤神社 「入色入彦命」


由緒


 延喜式神名帳の河内国丹比郡の大社である。摂社の狭山堤神社も大社であり、同一敷地内での大社二座の鎮座は珍しいと思う。
 ここ狭山は国史の最初からその名が出てくる。素盞嗚尊が狭山造の祖神として氏神でもあり、産土神でもあった。『河内国名所図絵』では牛頭天王社と称すと記している。

 狭山堤神社の祭神入色入彦命は狭山池開発の功労者として祀られている。 和泉地方で刀剣千口を鍛えて、石上神宮の奉納したとも伝えられている。 『古事記』垂仁天皇記では、印色の入日子の命は、血沼(チヌ)の池(泉佐野市下瓦屋)、また狭山の池を作り、また日下の高津の池(東大阪市日下)を作りたまひき。また鳥取の河上の宮にましまして、横刀壱仟口を作らしめたまひき。こを石の上の神宮に納めまつる。と出ている。印色の入日子の命は後世の秦氏のような技術をもっていた集団を統率していたようである。
 元々は狭山池の東、明神山に鎮座していた。

社景


お姿
 狭山駅を西側に降りると大きい森が見える。狭山神社だろうと近づくがなかな入り口が見つからない。 森の西側に神社が鎮座する。西向き。
 大きくはないがまとまりのある調和した雰囲気を醸し出している。

狭山神社



お祭り


夏祭  7月13日
秋祭  10月10日



狭山堤神社(狭山神社拝殿の向かって左側)


 祭神は五十色入彦命とか詳ならずとある。印色入日子命は垂仁記には、血沼池や狭山池等を造った皇子とされる。
 『日本書紀』では、崇神期に印色入日子命に命じて狭山池を造らしたとある。奈良時代には堤の決壊に記事が見える。地域とその下流域にとっては重要な潅漑用水だったと思われる。平安時代に神階を従五位上とされている。

『河内名所図絵』の狭山池 北から見た景色



参考:『由緒略記』

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