忍陵神社(津桙神社)
大阪府四条畷市岡山2-7-12 mapfan

鳥居

交通案内
JR学園都市線忍が岡駅 西へ300m 丘の上


祭神
藤原鎌足 配祀 熊野大神、品陀和氣命、馬守大神 合祀 大將軍神

拝殿


由緒
  讃良郡の式内社津桙神社の遷座改名した後裔社である。津桙神社の旧鎮座地は当地より東600mの坪井であり、明治の末には松杉の生える赤山と呼ばれる森であったが、現在は住宅地となっているようだ。

 『赤山津桙神社縁起書』によれば、「讃良郡甲可荘岡山村新宮大権現の濫觴は、人王四十代の帝天武天皇の御宇、役優婆塞の開基なり、聊、新宮代権現と申奉は、遠く本地を尋るに、薬師如来の国跡薬師三山の一所なり。人王十二代の景行天皇の御宇、何地ともなく小船漂い来る。其船の中より裸行真人といへる人熊野山に登り、即ち本宮一二所を移して新宮権現を草創とす。」と記録されている。

 元々は、この地の豊穣を祈念して祖霊を農業神として祀っていたのであろう。熊野詣でが盛んになり、熊野大神を勧請したものと云う。

 他の合祀社の概要。
 
馬守神社 裟羅羅(さらら)馬飼部の居住地に祀られていた。馬の生首を祀ったと云う。また斉明天皇の行幸地、神功皇后軍馬の安全を祈願した所ともされる。
 
大将軍神社 方位の神を祀る。
 
鎌足社 忍陵の古墳の上に鎮座していた。

本殿

お姿
 忍ヶ丘古墳の後円部の竪穴式石室が保存されている。それと並んで拝殿が鎮座。古墳時代前期の古墳。 当地に居を構えた古代の氏族は、河内国皇別の宇努連(うののむらじ)、また皇別の早良臣(さはら)、河内国諸蕃の佐良良連(さらら)達であり、津桙神社の祭神を示唆している。
 本殿は流造り」。四尺。


お祭り
 10月10日 秋季大祭

『平成祭礼データ』

 当神社はもと岡山の東方赤山に鎮座する延喜式内社、津鉾神社と岡山の南山下に鎮座する馬守社、砂に鎮座する大将軍神を合祀し、江戸時代この処に遷座し忍陵神社と称する様になった。津鉾氏の氏神又摂津住吉神社の馬守社を勧請、兵馬の神と祀り、方位方角の守り神として大将軍神を配している。
 以上


『日本の神々3』『式内社調査報告』『平成祭礼データ』

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