都留彌神社
東大阪市荒川3-20-18 mapfan

鳥居

交通案内
近鉄奈良線河内永和駅 南へ300m


祭神
速秋津日子神、速秋津比賣神、推古天皇、菅原道眞
 合祀 素盞嗚命、豐受姫神、少彦名命、武甕槌命、保食神、三穗彦命

摂社 針塚、三輪大神社

由緒
 延喜年間(901〜923)のある年、春の中旬より夏至にかけていささかの降雨なく、旱天続きのため、稲の植え付けがかなわず、 庶民天をあおいで溜息するのみであったが、醍醐天皇これを聞かれて、河内十二社を選び勅使を遣わして、雨乞いの祈願をををなされ所、神応ありて大雨沛然とし、その後の順雨ありて稔りの秋を迎えることができた。 天皇、この秋に行幸し直接御拝あり、この時に都留彌神社の社号を賜ったと『布施町誌』に記されていると云う。
 河内国渋川郡の式内小社、三代実録の河内国従五位下垂水水神云々にも比定されているが、定かではない。明治十八年の洪水で宝物・古文書等紛失したと云う。
 『河内国名所図会』には足代村の生土神、天神と称すとある。天神は菅原道真公を合祀した故。大正三年当地に遷座。 足代は延喜式の内膳司の河内国江ノ綱曳御厨の綱曳が訛ったものとの説がある。当地より東北に御厨村がある。

拝殿

お姿
 近鉄奈良線と大阪線は布施駅で分かれるが、その直後の三角地に鎮座、周辺は下町。 その中の憩いの森である。

本殿



お祭り
  10月16日  秋季例大祭

『平成祭礼データ』由緒

 布施の氏神、都留彌神社は布施の町の中央部、荒川の森に有り御祭神は縁を結び給ふと倶に家業を御守護なり、当神社の創祀は頗る古く、今より千百年前仁和二年第五十八代光孝天皇の御代の國史所載の由緒深き式内の神社である。
 第六十代醍醐天皇の延喜十庚午年は、春の中旬より夏至にかけて聊かも降雨なく、河水細り井水涸れて毎日赫灼たる旱天続きにて田植すること叶はず、天皇はこのことを聞し召され深く愍み給ひ河内国に十二社を選定し、勅使を遺はされて五月二十三日より雨乞いの御祈願をなされた御祈り空しからず神応ありて、同月二十五日に至ると大雨降り来て甘水田畑にうるをし喜びの声国々に満ちた、その後続いて順雨あり連年豊作が相続いたと云う。天皇もこの奇蹟に御感ありて親しく御拝あらせられ、此時に都留彌神社の社号を賜はり従五位上を贈られた。
 明治五年、村社に列し、同年五月、大字永和の素盞嗚命神社を合祀し、大正三年三月九日、村社鹿島神社、同産土神社、無格社大歳神社、村社子守神社、無格社子守神社、同稲荷神社、同天神社を合祀すると同時に現在のところに移転した。社地は旧鹿島神社の址である。
 以上


参考『式内社調査報告巻四』、『大阪府神社史資料』

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