津島部神社
守口市金田町6-15-6 mapfan

鳥居


交通案内
地下鉄大日駅 北東へ2km



祭神
津嶋女大神、菅原道眞、素盞嗚尊


由緒
 河内国茨田郡の延喜式内社である。創建年代は不詳。『文徳実録』に、「嘉祥三年(850)十二月癸酉、加河内国津島女神従五位」と見えるのは当社のこと。
 社はもと対馬江にありしも、あるとき洪水にあい、この地に遷座したと云う。対馬江は当社から500m北東の寝屋川市内にある。対馬江には神置、神の木などの字名が残っていると云う。
 淀川は現在より南側を流れており、中洲を対馬と呼び、船着場であるので、対馬江といわれたようだ。

社殿




お姿
  近隣の小祠を遷座させた摂社が並び、その間に木々が大きくなっている。下町のオアシス。
 本殿はかっては檜皮葺平家建であったが、総瓦葺を経由して現在は銅板葺。

 拝殿前に石組みがあり、六角形の石が中央に座る。

石組み

 

本殿





お祭り

 10月第3土曜日 例祭

由緒 平成祭礼データから

 当神社は今より凡そ一、二OO年も前の遠い昔からの当地の氏神つまで、延喜式内の古社で旧茨田郡一の宮の称あり、かの六国史の一つである文徳実録に「嘉祥三年(八五O年)十二月河内国津嶋女神従五位上」と見ゆるは当神社のことでありまして、寛永十年(一六三三年)淀の城主永井信濃守尚政この地を領するに及び菅公を合祀し神領五百石(一七八五二平方米)を寄進して大宮天満宮と称し、あつく崇敬せられました。
 氏地は現在の守口市と寝屋川市の両市に亘り境内地は今より拡大にして古松老楠生繁り荘厳な鎮守の森で、絵馬殿、宝物庫、地車庫、観音堂等あり、本殿、幣殿、拝殿総桧皮葺にして壮麗を極めましたが元和元年(一六一五年)五月大阪夏の陣に兵火のため惜しくも炎上し、天保七年(一八三六年)壮大な規模をもって社殿復興いたしました。現今の社殿は明治十五年(一八八二年)造営せしもので、同年十月盛大な正遷宮を行われました。その後、総瓦屋根であった社殿を昭和五十九年十月総銅板葺に葺替えられ現在に至る。
 境内に、皇太神宮、白龍稲荷社、若宮天満宮、厳島神社、山王神社等を祀る。また神宮寺として、金竜寺、豊蔵寺、大竜寺ありしも今は金竜寺のみ存す。
  以上


『大阪府神社史料』、『平成祭礼データ』

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