国津意加美神社
壱岐市郷ノ浦町本村触133 ゼンリン

鳥居

交通案内
郷ノ浦市役所の南


祭神
素盞嗚尊、大己貴命、稻田姫命、袁加美神

拝殿

由緒
 旧号は妙見宮。
 『社記』に神代に素盞嗚尊、韓国を巡り給ひて御帰朝の際、我が壱岐国郷之浦江上着岸ましまして後に宮殿を建てた。素盞嗚尊と妙見宮、これが並ぶと祭神の一角に五十猛神がと思えるのだが。

 御大典奉祝記念の碑が社前に置かれている。
 この神社は古くは遠く延喜五年(皇紀一五六五年 905年)の神名帳にその名がのり、藩政時代には毎年の祭礼に藩主の代参があったほどの由緒ある神社であり、私たちの祖先は千年を越す昔から村の惣廟として敬い親しみ祭祀にいそしんできました。

 参道途中の説明板から一部
 『延喜式神名帳』には「壱岐島石田郡國津意加美神社」と記録されており「社記」によれば、神代に素盞嗚尊韓国を巡り給ひて御帰朝の際我が壱岐国郷ノ浦江上に着岸ましまして後茲に宮殿を建つ是より村浦の宗廟と崇敬し奉りて妙見宮と申すとある。
 当社は古来御願元と称し旧藩主格別の崇敬神社にして国中諸社の首班に置き、定祭には幣使式日には代拝として亀丘城々代を参向せしめ。又松浦藩主壱岐を巡見するに当りては親しく参向し、恭しく礼幣を奉奠せらる故に当社を直参の社とは申すなり。昔神田神領等存し社殿の造営概ね国守の直営に係り、奉仕の祠官跡特殊の格式及職権を附与せられ、以て維新の際に及べり。仍而神社の設備完備し、国内屈指の社頭となりしは寔に所以ありと謂ふべし従って当時祭祀の荘厳盛大の状に至りては、国中類例を見ざる所なり。『壹岐国神社誌』
 延宝四年(1676)六月 国内延喜式登録の神社調査により式内小社國津意加美神社に査定され藩主松浦鎮信は木鏡御正体と石領とを献納した。

流破風の本殿

お姿
 郷ノ浦の町中に鎮座。狛犬に特長がある。玉含獅子と子抱獅子の一対である。寛政十二年(1800)の生まれの山内利兵衛の作。
 いくつなの摂社があるが、殆どが石祠のようである。覆殿内に置かれた祠と外に置かれた祠がある。

子抱獅子 玉含獅子
 



お祭り
   10月  15日  例大祭

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