八幡宮神社
対馬市厳原町大字中村645番地 mapfan

鳥居と清水山
 

交通案内
  厳原港より10分



祭神
 應神天皇、神功皇后、仲哀天皇、姫大神、武内宿禰

摂社
 伊勢宮神社 天照大御神
 金刀比羅神社 大物主神
 
平神社 天穗日命、日本武尊、仁徳天皇、菟道皇子
 
宇努力神社 須佐男命
 天神神社 安徳天皇、菅原道眞 合祀 安徳天皇、宗義智、宗義純、マリヤ、神役人立花氏ノ女靈
 軍殿社 日本武尊
 若宮社 仁徳天皇
 神霊社 菟道皇子

拝殿

由緒
 神功皇后が新羅征伐の時、対馬に着船し、上県郡和珥津、今の鰐浦より新羅に渡り給い、新羅を平らげ給う。高麗・百済亦来降し凱旋の時、下県郡与良の地今の厳原に着く。清水山を叡覧あり、此の山は神霊の止まるべき山なりと宣給い御幸ありて巖上に御鏡と幣帛を置かれ皇后親ら天神地祇を祭り給い、永く異国の冠を守り給へと祈り給い神籬磐境を定め亦朕が霊も共に此の山に止まらんと宣給いし遺跡なり。
 天武天皇白鳳四年の勅により同六年此の地に宮を造らしめ給い応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・姫大神・武内宿禰の五柱の神霊を御鎮祭ありて八幡宮と称し奉る。本社は古来官社として扱われ後世国主の崇敬せられし社なり。
 八幡宮と称するは神功皇后新羅征伐の時持ち給へる御旗八流を残し給ひしに由る。本社は八流の中二流の幡鈴あり、神宝として今に伝う。以上『対馬神社誌』を参照して。

本殿

お姿
 厳島の官庁街に鎮座。大きい鳥居は東を向いており、境内は広大な駐車場となっている。6,000円/月。楠の巨木が多く、盛り上がっている。
 上県郡の海神神社を上八幡と称し、当社を下八幡と云う。
 一段登って神門を潜ると北の隅奧深く南面して拝殿・本殿が鎮座する。
 数多くの摂社が東当面して並ぶ。



お祭り
 8月 14日、15日  例祭


宇努力神社
延喜式内社の宇努力神社に比定。神功皇后新羅征伐後凱旋の時、上県郡豊村に着船し、島大国魂神社を拝し、夫れより佐賀村に着船し、この地に島大国魂神社の神霊を遷して皇后親ら祭り給う。延徳三年(1491)佐賀村より当八幡宮境内に遷し祭る。
  

天神神社
安徳天皇文治の乱(12世紀末)を避け都を出させ給いて筑紫に暫く潜ませ給い筑紫の吉井より当地に下り給いて久根村大内山皇家の地に遷居し給う。是を信仰所と称す。帝終に対馬に崩ず。因って八幡宮神社境内に神祠を造り祭りて天神神社と称す。
 久根田舎に宮内庁管轄の安徳天皇陵墓参考地がある。
  

平神社
 当社は瓊々杵尊の朝、天日神命が対馬県主であった頃、祖神天穂日命を祭られしなり。その後日武尊仁徳天皇菟道皇子の三神を加祭す。延喜式神名帳にのる下県郡平神社である。



平成祭礼データ

八幡宮神社由緒記

 神功皇后新羅征伐畢らせ給いて凱還の時、下県郡与良の地、今の厳原に着御清水山を叡覧あり、此の山は神霊の止まりぬべき山なりと宣い、御行幸ありて巌上に御鏡と幣帛を置き皇后親から天神地祇を祭り給い、永く異国の寇を守り給へと祈り給い、神籬磐境を定め給い、「朕が霊も共に此の山に止まらんと宣い」し霊蹟なり。因って天武天皇白鳳4年の勅により同6年此の地に宮殿を造らしめ給い、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、姫大神、武内宿禰5柱の神霊を御鎮祭ありて八幡宮と称し奉る。
 八幡宮と称するは皇后新羅征伐に持たせたまへる御旗8流を残し給いしによる。明治7年6月社格郷社に列せられ、大正5年11月に県社に昇格、同年2月に神饌幣帛供進神社に指定せらる。
 明治初年に和多都美神社と称したりしを明治23年8月に訂正を許可せられ八幡宮神社と号するに至れり。
 例祭日
 旧暦8月13日、旧暦8月14日、旧暦8月15日
 特殊神事
 神幸式、放生会
 境内坪数
 境内地5328坪
 建築物
 神殿(流造檜皮葺)、幣殿、拝殿、社務所、楼門、神庫などあり。
 宝物殿(昭和53年5月より開館、一般へ公開す)
 絵馬堂あり絵馬を収納す。
  以上

参考 『対馬神社誌』、『境内説明板』、『平成祭礼CD』

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