和多都美神社
対馬市豊玉町仁位字和宮55番地 地図

海中の鳥居

交通案内
  対馬空港より仁位まではバス。仁位のバス停から神社まではタクシー5分。



祭神
 彦火火出見尊、豊玉姫命 (平成祭礼CD 神社明細帳)
 渡海大明神 (対州神社誌)
 彦火火出見尊、鵜草葺不合尊 (大小神社誌)

境内へ

磯良エベス
背面に鱗状の亀裂が見られるこの岩は今もなお神聖な霊場と
として祭られている。これを磯良の墓とした伝説があるが、
これは社殿が営まれる以前の古い祭祀における霊座か、それ
とも御神体石だったのではないかと思われる。



由緒
 延喜式内社の和多都美神社の有力な論社。当地は現在では下県郡であるが、古くは浅海以北は上県郡であった。

 文永四年(1267)の「八幡宮文書」に当社の由緒が記載されている。
 当社は海宮の古跡なり。上古、海神豊玉彦命此の地に宮殿を造り玉ひ、御子に一男二女ありて、一男を穂高見命と申し、二女を豊玉姫命・玉依姫命と申す。ある時、彦火火出見命、失せし鉤を得んと上国より下り玉ひ、此の海宮に在す事三年にして、終に豊玉姫を娶り配偶し玉ふ。良ありて鉤を得、又上国へ還り玉ふが故に、宮跡に配偶の二神を齋き奉りて和多都美神社と号す。又社殿を距る凡二十歩にして豊玉姫の山陵及び豊玉彦の墳墓あり。寛文年中(1661〜)洪浪の為に神殿悉く流れて、神体のみ渚に寄り来れるが故に、往古の棟札なく、勧請年月不詳。

 社前の渚に聖なる霊石があり、「磯良エベス」と呼ばれる。原初の神体だったようだ。磯良を磯武良(いそのたける)と読めば、彦渚武鵜草葺不合尊と同義、また五十猛神とも同義となる。
 また豊玉姫の山陵・豊玉彦の墳墓とは古墳ではなく、自然の岩場であり、磐座だったようだ。

豊玉彦の墳墓

豊玉姫の山陵

 境外の海辺に、御子出産の伝説地「玉ノ井」があり、海中には満珠瀬・干珠瀬がある。

玉ノ井
瓊瓊尊の御子彦火火出見尊は失った釣り針を探して上国より
お下りになり此の海宮においでになった尊は宮殿の水を汲む
ために出てこられた豊玉姫の侍女が水を汲もうと井戸の中を
見ればきれいな神様の姿が映っているのに驚き早速豊玉姫に
申し上げると姫は父君の海神豊玉彦尊と共に彦火火出見尊を
宮殿にご案内申し鄭重に待遇された。尊は三年この海宮にご
滞在され遂に豊玉姫を御娶り遊ばされたという伝説の玉の井
はここである。今も清水が懇々とわき出ている。

満珠瀬・干珠瀬
太田浜には二つの岩礁があり、写真の瀬を満珠瀬と云い、
干珠瀬は太田湾の反対側。彦火火出見尊が海神から与えら
れた瓊になぞらえている。また和多都見神社には真珠の伝
承があり、汐満珠・汐干珠の神宝を産したと言い伝えている。

拝殿

お姿
 浅海北部の深い入り江で、沿岸に弥生時代の遺跡や古墳が多く存在し、大陸製の青銅器と北部九州の広形銅矛が集中的に多く、当社の神宝となっている。大陸と列島を股に掛けて交易した海人族の有力者がこの辺りに居たのであろう。

本殿 松の根が蛇体の如く伸びている。



お祭り
    旧暦 7月 29日 〜 8月 1日  例大祭

参考 『日本の神々1』、『式内社調査報告』、『平成祭礼CD』

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