鏡宮神社
三重県伊勢市朝熊町 its-mo

交通案内
近鉄鳥羽線の朝熊駅より北へ徒歩約20分。

祭神
 岩上二面紙鏡霊

鏡宮神社の森


朝熊神社(当社)鏡宮神社の由緒

 皇大神宮第一の摂社。寛文三年(1663)時の大宮司が摂社再興にあたり、不明となっていた跡地を現地に定めたとされる。社地を平坦にしている際、古鏡が掘り出され、その下に小蛇がいて守っていたように見えたと伝わる。当社の下は朝熊川と五十鈴川の合流点であるが、そこに鏡宮神社が鎮座している。目と鼻の先である。

 『倭姫命世記』に、天照大神が五十鈴川上に鎮座後、御饗を奉つた「彼処にして神社を定め、神宝を置いた。」とある。当社には古くから白銅鏡二枚が奉安されており、鏡宮とも称されていた。鴨長明も、「あさま河をへだててひるかわのよこねといふ山あり。その山の西のはなに、かがみのみやおはします」と記している。この神鏡は当社の前を流れる江澤の中の岩上に御坐すなり、とされている。神鏡は長寛元年(1163)に紛失し、建久十年(1199)、天福二年(1234)、文永六年(1269)にも岩上に鏡が出現したという。これが鏡宮の由緒であろう。先に、朝熊神社の向かって右側に立てられたが、ここは朝熊御前社となり、鏡宮神社は朝熊川と五十鈴川の合流点に独立した。明治九年(1876)に神宮末社となった。

 当社は伊勢国度會郡の延喜式内社であり、暦応三年(1340)には造営所課が安芸国に五十二石課せられていた。室町時代初めまでは造営使造替が行われていたと思われるが、文明三年(1471)の造替関係資料には、小朝熊宮には所課の国名や用途料が記されておらず、この頃から衰退していったものと推定されている。なお、これは正遷宮が寛正三年(1462)を最後に中絶した時期と呼応している。(『式内社調査報告』朝熊神社 清水潔)。

鏡宮神社

鏡宮神社と朝熊神社が鎮座する山。

鏡が出現した岩?


お姿
 朝熊神社から朝熊川にかかる細い橋を渡れば、鏡宮神社に行ける。
 現在は堤防が作り変えられているようで、葦が密集する湿地ができている。堤防から下ると鏡宮神社である。平成12年に参詣された玄松子さんのサイトでは、社殿は向かって左側、ところがご案内頂いた方は数年前には社殿は向かって右側に建立されていたと言われていた。お伊勢さんお遷宮は一斉に行われるのではなさそうだ。参詣は平成26年。


お祭り
 

  参考 『式内社調査報告』、『平成祭礼データ』

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