草薙神社(尾津神社)
三重県桑名郡多度町御衣野2222 mapfan

遠景

鳥居

交通案内
養老線下野代 西2km


祭神
倭建命


由緒

 延喜式内社。多度町戸津と小山の尾津神社も論社(式内社の候補社)である。当社は元々八剣社と称した。御衣野の地は往古野代郷に属しており、尾津郷ではないので、論社とするに及ばない。

 当地は倭建命が大和から東国へ東征の折り、尾津岬に立ち寄って、一振りの太刀を置いて旅だったと云う。 その後、帰途にこの地に立ち寄ったところ、松の木にかけておいた太刀が、そのまま残っているのを見て、感激したようだ。往古、この辺りまで海であった。

 尾張に 直に向かえる
   尾津前なる 一つ松、吾兄を。 吾兄をはあなたよと云う囃子詞。
 一つ松 人に在りせば
 太刀佩けましを 衣着せましを。
 一つ松 吾兄を。
 と詠んだと古事記は記載している。歌謡番号三十

 倭建命はここへ戻った時には既に足を痛めており、杖をついていた。 式内社の論社はそれぞれ同じ由緒を持っている。当社も同じである。ただ、草薙神社と呼ばれたのは、倭建尊の子孫と称する草薙氏の祀る神であったようだ。

拝殿


お姿
 現在はいかにも鎮守の森と言うたたずまいであるが、これは富士通の工場が神社の南側に建設さて、山が続いていたのを切ってしまっているからである。龍脈が切られたと言うこと。
 境内に祭神が剱をかけた松の枯木を囲んだ小祠がある。小祠の上には草薙氏の家紋が彫られている。
 当社の700m南東に古浜神社が鎮座、往古は海岸に近かったようである。

磐根を持つ木


 実は境内に昔は舟の舵に利用したと云うサキシマスオウの磐根と同じような樫の木が見つかっている。随筆家の裏紫都子さんが発見されて、桑名歴史案内を発信されている伊藤通敏さんが撮影され、神奈備が掲載の許可を頂いたものである。サキシマスオウは暖かく雨の多い所の気水域に育つようである。この草薙神社の場所も昔は海岸に近いと云われており、同種の磐根の持つ木が出来たのであろう。不思議な事。

本殿


お祭り
  

参考 『式内社調査報告』『松浦貞子さんの旅行案内』(クラブツーリズム)

神奈備神社一覧 三重

神奈備にようこそ